中谷風の瀋陽日記

 大連3
 星海公園は旧満州(偽満州)時代「星が浦」と呼ばれた有名な海水浴場であり、現在も7月、8月は海水浴客で「芋の子を洗う」(ガイドの言葉)状態だという。すぐ近くに大連自然公園などがあるが、今日はひたすら、海とバンジージャンプを眺め、公園内を散策するにとどめた。途中「月石」と銘がある石を見た。月から落ちてきたという伝説がある石だというが、花崗岩のようで地中に向かって楔形に尖っている。
   
 4時半過ぎだったが、朝が早かったので、夕食を取るために市内に向かった。高爾基路(ゴリキー通り)に面した「牟傳仁飯荘」という店に入った。人気の高い店で、6時を過ぎると待ち客で行列ができるとのことだった。ビョウさんが注文して4品が揃った。(先払いの110元分)3人分の夕食にしては少し少ないかと思ったが、食べ終わったときは、まだ残っていた。大連の地ビールが1本10元だった。これはキャッシュで払った。ガイドは味が辛過ぎないか気にしていたが、瀋陽の味に慣れているせいか、そんなに辛くは感じなかった。充分に満足できる食事だった。6時前には宿舎に向かったが、すでに入口にはまっている人が出始めていた。
 宿泊したホテルは大連一正假日酒店というビジネスホテルだったが、部屋に入ってみて驚いた。応接セットのある部屋、1部屋ほどのバスルーム、ツインのベッド。なんと、スィートルームであった。ガイドは「旅行社にもメンツがありますからね」と得意顔だった。料金先払いだったから(値段は230元)慌てなかったが、これがいきなり案内されたら、きっと腰が引けていただろうな。でも、たしか20年ほど前、北京かどこかで同じような部屋に泊まった記憶がある。ああ、お尻が腫れそうだ。(貧乏人はこれだから困るな?)写真を撮るのをすっかり忘れていた。
 
  
 4日は朝からロシア人街に向かった。大連駅の北東方向、鉄道の線路を跨いだ所にロシア人街の一角があった。いかにも日本が占領する前に開発し居住していたのはロシア人だことを想起させる。教会の尖塔はあくまで高く、町並みもそのままに残されていた。土産物店にはやはりロシアで作られたと称するものが多く、毛皮の帽子などが秋なのにすでに陳列してあった。
 一通り見て、時間もあったので、ガイドは飛び切りのコースを案内してくれた。メインの通りから1筋西に入ると、ロシア人の庶民の住宅地がある。市政府が買い取ってどう開発するか、保存するか考慮中なのだがということだった。なるほど、塀の中には無人のあちこちが崩れたような住宅が、およそ2,30戸建て混んでいた。(最後の写真)神戸の異人館のようにすればきっと人気が出るだろうと提案しておいた。