2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧

帰国ー瀋陽日記

先程、日本に一時帰国した。確かに日本は温かいし、空気も綺麗だ。しかし、集中暖房がないから、室温は低い。妻の言によれば、大体は13℃から14℃に設定しているという話しだ。瀋陽の部屋の、17℃から18℃に比べると薄ら寒い感じがする。急いで、厚手のセーター…

趣味ー瀋陽日記

「日本事情」を教える授業の中で、「日本人の労働観」という単元があって、年間総労働時間の国際比較や年次休暇の取得日数や取得比率などのデータを示して、相変わらず「ワーカホリック」の日本の現状について話したりしていたが、「仕事か趣味か」という問…

カラオケ2−瀋陽日記

少し慣れてきたら、自分で曲を入力できるようになってきた。そこで、幾つもの古い歌を入れた。「北へ」「親父の海」「お袋さん」どれも古すぎて、学生は勿論のこと、若い日本語の教師にも聞き覚えのない歌だった。 僕は一人で3曲を続けて歌った。学生も付き…

カラオケー瀋陽日記

学生とカラオケに行った。こちらでは大体はKTVで表示されているようだ。 大原街のショピングモールで昼飯を一緒に食べたあとに、青年大街の交差点の南西角にあるカラオケボックスに行った。学生が6人と大人(教師)が2人である。食事は定番の火鍋で今回は1人づつ…

地壇ー瀋陽日記

地壇公園へは歩いても30分以内に行ける距離だったが、2日目も咳が止まらなかった僕は、あと一駅を「安定門」駅で地下鉄に乗った。乗ったはいいのだが、反対方向の「鼓楼大街」駅に行っていることに気付いた。反対方向に乗り換えて、二駅目の「雍和宮」駅…

天壇4−瀋陽日記

祈年殿の南には皇穹宇があるのだが、途中、係員がいて入場券を検札していた。つまり30元の共通入場券の端が各エリアごとの半券になっていて、それを一々ちぎり取るわけである。寒風の中で一日中立っているのもなかなかの重労働だろうと思うが、彼女らはお互…

天壇3ー北京ー瀋陽日記

中国のどこの公園に入っても、老人達のグループがここかしこで、ダンスをしたり、太極拳を練習したり、トランプや将棋や麻雀に興じたりしている姿を目にする。天壇には麻雀のグループはなかったが、ほかは大抵あった。瀋陽に比べて温かいとは言え、外は零下2…

天壇ー瀋陽日記

地下鉄5号線は割と混んでいた。日本の地下鉄のように、立錐の余地もないといった混み方ではないが、座席は100%埋まって、立っている乗客がほぼ同数といった感じで、繁華街での乗り降りも激しい。後で、ガイドブックで確かめたのだが、王府井の近くの「東単…

天壇ー北京8ー瀋陽日記

天壇にはかねてから行ってみたかった。1998年に妻と一緒に北京に来たときは、忙しいパックツアーの一員だったから、八達嶺の長城を見た後、北京市内は故宮の中を見学したのと中南海の近くの胡同を散策したことぐらいしか覚えていない。勿論、故宮に行く前に…

茅盾ー北京7−瀋陽日記

2日の朝は早く起きたので、朝食前に少し近所を散歩した。実は、ガイドブックにあった「茅盾故居」が気になっていたのだ。朝が早いので聞く人もなく、菊児胡同の1本南の后園恩寺胡同をうろつくのだが、見当たらない。昨日、タクシーが迷い込んでいた通りであ…

北京6ー瀋陽日記

悪夢のような夜だった。30分置きに肺をえぐるような咳、肺胞ごとに納豆の菌糸が絡みついていて、咳とともにその一部が剥がれるような咳、背中を丸めてエビになっているとその背中を叩きつけるような咳、咳にもいろいろなタイプがあることを思い知らされた。6…

北京5ー瀋陽日記

暮色を濃くした南鑼鼓巷をぶらぶら帰りながら、2,3の店を点検した。日本料理の店もあった。場合によっては明日の晩はそこでと考えていた。というのも、四川料理の注文の時、Kさんが魚料理に関心があるようなそぶりだったのに、全く注文しなかった。僕は、瀋…

北京4ー瀋陽日記

この「南鑼鼓巷」はもともとごく普通の胡同だったが、センスのいいカフェや雑貨店が次々とできて、おしゃれな散策路に変身したとガイドブックには書いてあった。北京の故宮の西側には北海、中海、南海の池があるが、その北辺に什刹海がある。その什刹海の前…

北京3ー瀋陽日記

瀋陽ー北京間は列車で約4時間強。近くも無し、遠くも無しといった距離に思えた。聞く人の持つ先入観によって捉え方がちがう。13時35分頃に列車は北京駅に着いた。地下鉄で行く覚悟をしていたのだが、Kさんの提案で、タクシーにした。さすが首都だけあって、…

北京2ー瀋陽日記

さて、出発は1月元旦。朝の6時にはもう1人のイギリス人女性が瀋陽の空港から西安に向けて出発していた。6時前には起床して、朝ご飯を食べたが、前夜の飲み過ぎのせいかあまり食欲がない。無理に、パン2枚とサラダを詰め込んで出発の準備をした。7時前には学…

北京ー瀋陽日記

北京に行くことになった。しかも、元日から3日間。新年休暇を天津でも過ごそうかと漠然と考えていて、切符の予約もしていなかったときに、英語の外国人教師が腕を骨折した。これは前に述べたのだが、その後、痛みが引かないので痛み止めをやったりしていた…

忘年会2ー瀋陽日記

前日に引き続いて30日は日曜日なのだが31日との曜日変更で学校があった。授業はなく、午前中一杯、学生達のクラスごとの忘年会に当てられている。昨年は妻のフルート伴奏で日本の歌を歌ったが、今年はひたすら観客に徹した。毎年のことなのだが、1年生よりも…