2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

中谷風の瀋陽日記

瀋陽に無事着くことができた。しかしパソコンの接続があまり良くない。明日、専門家に見てもらおうと思う。スカイプもメールもすべてうまくいかない。家にも連絡ができない。電源が少ないので今日はこれだけにする。 3月30日になってブログを開いたら、ブロ…

中谷風の瀋陽日記・以前14

いよいよ、明日出発だ。航空便の荷物と関西空港までのスーツケースをそれぞれ送り出したところだ。 やや春めいた日差しの中で、桜の開花宣言がちらほら始まり、今日の東京の開花宣言で平年並みとのこと。寒い日が続いていたので、きっと今年は遅いのだろうと…

中谷風の瀋陽日記・以前13

日本語学校の教師をする一方で、女子大の講師を4年間継続していた。その学生たちの一部が「お別れ会=激励会」をしてくれた。3月の初旬のことである。吹奏楽の部長をしている子、演劇部の代表者で毎年の「シェークスピア劇」で重要な役者を勤める子、我が家…

中谷風の瀋陽日記・以前12

福島原発事故がレベル6であるという報道に唯々驚くばかりだ。チェルノヴィリとスリーマイル島のちょうど中間であるという。やはり、日本人総体の力量が問われる正念場であろう。政治の無策をあげつらう言説が多いが、必要なのは、今の効果的な情報と対策だ…

中谷風の瀋陽日記・以前11

春蘭とマムシと“満州”(5) もともとフォンは信じやすい質で、“カブソ”と言っていた河童や山姥、果ては、空中から下りてきた釣瓶が人間を攫っていくという“ツルベ”さえも信じていた。同級のミノルが焼き場に近い川の淵で河童を見たと言ってからは、何度もこ…

中谷風の瀋陽日記・以前10

毎日のように、震災の報道と福島原発の事故の報道に囲まれながらも、徐々にではあるが、日常が戻って来つつある。このブログも、本来の役割に戻していきたい。 春蘭とマムシと“満州”(4) 父が掘っ立て小屋に入っていったのはフォンにとっては意外なことだ…

中谷風の瀋陽以前9

瀋陽で記事を書く練習に写真を撮ってみた。何とか写真は入れることができたようだ。この胡蝶蘭は、1昨年関西国際大からもらい受けて、昨年、今年と2回花を咲かせたものだ。今年で終わりの運命のようだ。

中谷風の瀋陽以前8

19日に呂君と蘇さんに私たちは夫婦で会った。阪急春日野道の南側2百メートル位のところにあるモンゴル料理の店に招待された。残念ながら、二人とも今年の受験で成果を上げることができなかった。合格したら、私のほうが合格祝いの会を持ってあげようとい…

中谷風の瀋陽以前7

3月17日が神戸の日本語学校の卒業式であった。この学校本体はコンピュータ関係の専門学校であるため、全卒業生は1000人ほどいた。日本語学科そのうち僅か40人ほどである。蘇さんが総代として卒業証書を受け取っていたが、胸を張り凛とした立ち姿で…

中谷風の瀋陽以前(6)

瀋陽への渡航の日が決まった。瀋陽の学校での労働の許可が下りたので、これから領事館に「労働ビザの申請」を行うという知らせが、京都の日本語学校の担当者から入った。特に、瀋陽の白副校長からできるだけ早く来てほしいとの要請があり、3月29日に出立…

中谷風の瀋陽以前5

昨日が神戸の日本語学校の最後の授業だった。クラス管理者の希望によって、最後の授業は「短歌・俳句の作成」で上級1、2クラスでそれぞれ2時間授業をした。なかなか味わいの深いものもあった。卒業式の後のパーティで発表する予定だ。“異国にて初めてなせ…

中谷風の瀋陽以前(4)

今日もテレビの前で、震災情報に釘付けになっている。阪神大震災の経験を思い出して、居ても立ってもいられない気分になるのだが、ライフラインが確保されていない状態で、慌てて何かしようとしても足手まといになるのではないかと思いとどまっている。こん…

中谷風の瀋陽以前3

今日も地震の続報が続く。津波の威力がこのように凄まじいものだとは想像だにしなかった。 人命救助と一日も早い復興を願いたい。 春蘭とマムシと“満州”(2) 柿の木にぶら下がっていたマムシは夕方には、父の鍬の先に吊るされて、父の歩幅に合わせて、また…

中谷風の瀋陽以前2

今日のブログを書こうとしていたら、なんと、大地震の情報。テレビの大津波の映像にくぎ付けになりながら、関東にいる二人の息子の家族の安否の確認に余念がなかった。阪神淡路大震災の記憶が生々しくよみがえってきたりした。幸い二人の息子家族は全員無事…

中谷風の瀋陽以前

今、日本語学校の教員をしています。今日が生徒の中の二人、呂君、蘇さんの神戸大学の合否発表の日なのですが、まだ本人からの連絡がありません。二人は、山東省の煙台の近くの威海(昔の威海衛)の出身です。高校が同級の本当にさわやかなカップルが、二人…

中谷風の瀋陽日記

中谷風の瀋陽日記の始まりです。 なぜ、どうして瀋陽なのかという経緯については、これからゆっくりと書いて行くつもりです。