中谷風の瀋陽日記

 大連4
 ロシア人街の後は大連埠頭を目指したが、埠頭には入れないため、フェリー乗り場に行った。フェリー乗り場の建物や、向かい側のビルなども戦前からのものだという。すると、戦前、下関や九州各地などへ出ていた船はここから出港していたのだ。その雰囲気だけでもと思ったが、切符を持っていないので、乗船場の途中から引き返してきた。今は中国国内各地と韓国・仁川港を結ぶ航路があるだけで、日本向けはないとのことだった。中国各地へは、天津、営口、煙台、威海、青島、南浦、丹東への路線がある。
 いつか、ゆっくり船で山東半島の威海へ行ってみたいものだと夢を膨らませてフェリー乗り場を後にした。
    思い出した。「満州」からの引揚者は大連ではなく、葫蘆島が多かったのだ。葫蘆島へも行ってみなければならない。
 埠頭に入れないので、その周囲をゆっくりと車で回った。すると、造船所が見えてきた。話によると、先頃進水した空母はこの造船所で作られたのだとのこと。それで、進入禁止の謎も解けた。日本でもこの空母のことが問題になったと伝えると、ガイドは「世界の1等国で、空母を持っていない国は中国だけだったのですよ。そんな状態で、1等国と言えば笑われますよ。」とさも当然だと言い放った。日本も持っていませんよというと、「日本は米軍の傘の下にいるでしょう。日本人は賢い。軍備に使う金を経済発展に使うのだから。」「じゃ、中国も日本と同じようにすれば?」「韓国や日本の米軍のミサイルはどこを向いていますか。金正日は夜も眠れないと思いますよ。」話は急に政治化した。「名誉ある偉大な大国としての国際的な地位の獲得」(高橋伸夫『中国は、いま』岩波新書)という100年来の夢は、屈辱の100年があったが故に、今や大衆的・国民的願望になりつつあるようだ。急激なナショナリズムは国を不幸に導くという危惧感を抱く私に「私は、政府やマスコミの主張をうのみにはしません。日本のことも、中国のことも。百聞は一見に如かずと言うでしょう。私は自分の目で見たことをまず信じます。」と返ってきた。彼からは面白い話、見解を多く聞けた。例えば「日本は経済は大学生、中国の先生ですが、政治は幼稚園ですね。」などだ、「民主主義には手間暇がかかるのだ。」と言おうとしてやめた。私自身日本の政治にはほとほと愛想が尽きるのだから。