中谷風の瀋陽日記

 お話
 旅先で聞いた話を2、3書き留めておきたい。ガイドは文革の時代を幼少年期で過ごしている。1978年12月、改革開放時代が幕を開けて、1981年から大学入学統一テストが始まる。彼が日本語を選んだのは日本が好きだったからだし、中学・高校と選択した外国語が日本語だったからだ。だが、文革の間、ほとんど勉強をしなかったので、この入学試験の前はとても一生懸命に勉強した。1985年の統一テスト「高考」を受けて、地元の外国語学校に入学した。まだその頃の就職は国家が行き先を決めていた時代で、選択の余地なく旅行社に就職が決まったそうだ。いくらか癖はあるものの、とても滑らかな日本語を話すので、留学経験は?と聞くと1度もないと言った。20年ほど前に中国を旅行した時のガイドも留学経験はない、中国で勉強したと言っていた。この世代には共通していることだ。というのも、彼らが学んでいた時は、日本に留学できるほど経済的なゆとりが国も個人もなかったのだろう。
 「今はたくさんの学生が日本に留学していますね。」というと、「そうです。今の若い人が羨ましいです。私の心残りは留学できなかったことです。」と言っていた。ふと、若い頃、少しだが中国留学を夢見たことがある私には、何か心に残る言葉だった。
 次に「都市と農村の格差」のこと。日本の出版物などに「中国には都市というヨーロッパと農村というアフリカがある」というのがあるが、ガイドも仕事柄地方や農村を案内することもあるそうだ。「農村はまだまだ貧しいですよ。都市は中国のホンの顔でしかありません」と言っていた。貌だけ見て中国を理解したと思うのは早計だろう。「日本にも何度か行き、農村にも泊まりました。家、車、家財物品、どれも都市と差はありません。むしろ環境面を考えると農村の方が良いかもしれませんね。」だから、中がの個人消費、個人所得の面で、日本並みに農村が都市に追いつくのはまだまだ時間がかかるとのことだった。そして「中国がソフト面で先進国に追いつくのは、あと、何十年かかることやら」というのが、彼の述懐だった。
 (昨日の写真の補足説明:最後から2つ目が森ビルの写真、日本企業などが入っている。テレビ塔のある丘の中腹の展望台から撮影。最後が大連駅前の古い町並み、これも戦前からの町並みで映画館《今スーパー》はガイドが子供のころは実際に開館していたそうだ。古いものと新しいビルとの対照で写真に収めた。)