731-瀋陽日記

 731(続)
 この記念館の販売所でCDと研究書を1冊買ったが、その入れ物のビニール袋に次のように書いてある。
  侵華日軍第七三一部隊遺址
  731部隊は往時の日本の最高統治者の勅命によって組織された一つの特殊部隊であり、該部隊は1935年哈爾賓市平房地区に計画し建築された生物兵器の研究、実験及び生産の基地であり、合わせて、日本軍が東南アジア戦場で進めていた生物兵器戦争の指揮センターともなっていた。
  この”食人魔窟”と称せられた基地の中では、731部隊は残虐にも生きた人間を実験材料にして細菌兵器の研究を進めた。資料の記載によれば、僅か1939年から1945年に至る期間でも3000名余りの中国や外国の抗日志士や無辜の国民が実験材料とされ、惨くも殺害された。
  網址(ネットアドレス)://www.731.museum.org




写真:左から1.墓標の廊下 2.内臓摘出生体実験  3.全景鳥瞰図  4.参謀総長名「あか筒及びあか弾」使用指示  5.前庭から建物前景
 この731部隊が日本で一般に知られるようになったのは、1980年森村誠一が『悪魔の飽食』で部隊の全容を書いてからである。私が学生の頃、一部の本にはこの部隊の存在は記されてはいたが、それほど広くは知られていなかった。この事実を知らしめること忌避する圧力が存在したように思う。つまり、書かなければ、それは存在したことにはならないという、例の「隠蔽体質」とでも言うべき傾向である。それは形を変えて「自虐史観」だの「国を愛する態度」などと言い募る人々の中に受け継がれてきているように思う。(続)