大使ー瀋陽日記

 尖閣諸島に領有に関する歴史的経緯について政府見解は次のようになっている。「尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。」「1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。」「中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。」ほぼ全文の引用であるが、この見解の最も重要な根拠は「国際法上有効な論拠」という文言に表されているように、
1895年1月の閣議決定による。つまりいわゆる近代法意識の上での領有権が根拠になっているのだ。
 ところが、中国・台湾の根拠ははるかに遡った明代にその根拠を見いだしているという。恐らくは、この問題についての双方の主張の根底に、何を基準において考えるのかという、根本的な基準の統一が無い。歴史のどの時点をもって根拠とするかと言うことについて、少なくとも、双方の国民が最低限の常識として相手の論拠を知っておく必要があるのではないかと思う。
 その上で「領土とは、あくまでも近代国家同士の取り決めであり、それ以前に遡行していくことには意味が無い、という大原則を曲げてはなりません。」(中西輝政(文春8月号))といった論拠にたった議論もできるのだと思う。しかし、『文藝春秋』に登場する論客のほとんどが、石原を無条件に支持し、丹羽大使を感情的に指弾している。(続く)