紅高粱ー瀋陽日記

 莫言氏の受賞で、以前から見たいと思っていた『赤いコーリャン』(紅高粱)をネットで探した。思ったよりも簡単に見つかった。しかも、私が愛用している「優克」(ヨウクウ)の録画もあったので、急いでダウンロードした。張藝謀(チャンイーモウ)監督の作品はこれが初めてである。
 映像を一通り見てみて、シンボリックなまでに高粱畑にこだわった映像処理が印象的だった。
 冒頭に、山東省高密県には誰が種を播いたか知れない高粱の野生化した群叢があると紹介され、画面全体に高粱が風にそよぐカットが続く。語り手の祖母の輿入れから物語は始まる。高粱畑の間の道を花嫁を乗せた花嫁駕籠が4人の掻き手に揺すられながら、楽団の囃子に調子を合わせながら、ゆっくりと進む。掻き手の二人目、花嫁の駕籠の前で全体を指揮している筋肉隆々たる大男が後に祖父となる若者である。花嫁はこの先の大家へ輿入れするのだが、祖父はまだ、近くの高粱酒の醸造工場の人足頭というった役回りである。
 祖母は婚家で不縁になり、実家に出もどるが、実家の父は、「お前のいる場所はここにはない」と追い返す。途方に暮れた彼女が醸造所にやってきて、そこの賄い婦として働き始める。
 さまざまな紆余曲折の末に、祖父と一緒になり、かわいい男の子が生まれる。その息子が語り手の父と言う設定である。
 平和な農村の空気が一転険しくなる時が来た。日本軍の侵攻である(恐らく斉南事件)。その時日本軍の1部隊が行った、人間の生皮を剥ごうとする残虐な行為が、農民たちの抗日の精神を掻き立てる。
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 後は実際に見てもらいたいのだが、日本人として居心地のいい場面ではない。だが、同じような場面は形を変えて村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にもノモンハンの近くと言う設定で出てくる。単に想像力によって作られた場面というよりも、事実としてあったものを、多少手を加えた形でストーリーの中にいれたものだと思う。
 学生たちも、以前に見たことがあると言っていた。それほど、この映画は、中国の中ではよく知られた映画なのだ。ベルリン映画祭の金熊賞を取った映画であるから、何かの機会に目にすることも多かったのだろう。