南京3ー瀋陽日記

 残暑お見舞い申し上げます。
 明日、10日には日本に一時帰国します。27日にはこちらに戻りますが、その間一時PCを使えなくなるかも知れません。
 多くの皆さんに、メールのアドレスのことで迷惑をおかけしました。お詫びします。
 某全国紙に投稿した拙文が中旬頃に掲載される予定になっています。一応この場を借りて紹介させていただきます。
 さて、BTVの翻訳もやっと半ばまで来ました。今日は残りを掲載します。

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㉔  「慰安所」の規定によれば、ここにやって来た日本軍兵士は、まず「慰安所」受付で代金を支払って、この種の「慰安券」を手に入れなければならない。1枚の「慰安券」の値段は僅か二元で、被占領地域となった南京ではこの二元の金でわずかに雌鶏一羽が買えるだけだった。しかし、「慰安所」にあっては、この二元は却って一人の少女を踏みにじるのに十分であった。
   19号室の入ってきた日本兵は「慰安券」をテーブルの上にポイと投げ捨てて、朴永心を凌辱し始めた。
   朴永心の衣服は無理やり引き裂かれ、髪はばらばらに乱れ、彼女は必死に抵抗を続けた。手でその日本兵の顔をひっかくと、日本兵は身に付けていた軍刀を抜いて彼女の頭に切りつけてきた。その一撃による五センチの傷口から鮮血が流れ出た。血が流れたまま、朴永心は怯えて身震いしながら、髪を振り乱して部屋の隅にうずくまっていた。この場での残虐な凌辱の中で、彼女は自らの少女の時代に別れを告げて、強迫によって「慰安婦」となることを余儀なくされたのである。

㉕ この日から朴永心は毎日十数名もの日本兵の接待をしなければならなくなった。
  推して知るべしだ。彼女の身体や心にどれだけ重い毀損と屈辱をもたらしたかを。
   朴永心も逃げ出したいと考えとことはある。だが、中国人「慰安婦」万愛花の身の上に起こった惨劇を聞くに及んで、17才の彼女はむせび泣くほかはどうしようもなかったようである。