南京2ー瀋陽日記

 橋本君は反省したのだろうか、それとも、老練な政治家たちにいいように振り回されていると自覚したのか、あるいは、ほとぼりが冷めるまでとここは隠忍自重と決めたのか。
 いずれにせよ、中央政界から距離を置くといっているらしい。
 次の衆議院選挙を目指してと言っているところを見ると、決して懲りてはいないようだ。

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慰安所正面
㉒  朴永心が送られて着いたのは南京市内に位置し日本軍営から僅か500米離れた三階建ての煉瓦造りの家だった。これは日本人が南京に設置した「慰安所」で、その建物は「金水楼」と名付けられていた。「金水楼」のような「慰安所」を日本軍は第二次世界大戦中南京に40ヶ所余りも設置していた。
*スタジオセット「慰安所内部」
㉓  朴永心は「金水楼」の二階の19号室に閉じ込められた。そこは「金水楼」の他の部屋と同様に、壁の上には一枚の浮世絵のポスターが貼ってあり、部屋の中には一台のベッドと小テーブルと数脚の腰掛けがあり、中は日の光をまったく遮断していて薄暗かった。   
   この時の朴永心はすでに和服に着替えさせられていて、見慣れない周りの様子を見て不安に怯えていた。
   17才の朴永心が最初に感じたのは、自分が日本の警察が「看護婦」にするという嘘に騙されたのだということだった。しかし、悲惨な生活は今しがた幕を開けたばかりだった。
   あたふたと日本兵が一人入ってきた。彼の手の中には1枚の紙切れが握られていて、紙切れには「慰安券」の三文字が書いてあった。