日本交響楽ー瀋陽日記

 「日本交響楽」とはN響でも、日本交響楽団でもない。豊田譲氏の大河長編小説の題名である。この本も資料室でたまたま見つけて、読み進んだ本の一つである。
 氏は1920年に「満州」四平(スーピン)で生まれ、幼少年時代を瀋陽の北方、平頂堡で過ごしたが、小学校5年からは岐阜県の本籍地に戻り、その後、1940年海軍兵学校に進み、海軍航空兵として、いくつかの著名な海戦に出撃したが、ニューギニアの戦闘で捕虜となり、オーストラリア、アメリカ本土などの捕虜収容所を点々としたと略歴には記されている。また1971年の直木賞作家であり、戦記文学の代表的な作家でもあった。
 さて、この人の名前はおぼろげに覚えていたが、作品を手にするのは初めてであった。
 小説の冒頭に読者に対する作者からの「『昭和交響楽』を読まれる方へ」と題する案内があった。「この作品の大きな特色は、大状況(国家、政治、外交、軍事及び国際状況など上層部の状況)と、小状況(一庶民である主人公と一般国民の動き)を、平行して描いてゆくところに、大きく表れている。それゆえに主人公の少年が、同級生と性の遊びにふけっている小状況の次に、大状況である関東軍張作霖爆殺事件(昭和三年六月)が出てくる。。こういう小説は例が少ないので、始めての読者は戸惑うかも知れない。しかし、国家の膨張とその挫折が、一人の少年の人生の軌跡を、いかに歪めてゆくかを描くのが、この作品のメイン・テーマの一つなのであるから、それを心得て読み進んで頂きたい。・・・・」
 作者の解説の通り「序章」に続く第一章は「ロシア少女ターニャ」と題されている。弟敏郎の子守として主人公倉田竜作の家に雇われた白系ロシア人少女ターニャと幼稚園に通っている竜作の性への目覚めともいうべき逸話が語られていく。母の代役として銭湯に竜作を連れて行った時のターニャの白い肉体や頭と同じ金髪の下部の輝きが鮮やかに描かれている。
 昔読んだボーヴァワールの『第三の性』以外に、幼児の性についてきちんと書き込んだ作品を余り目にしたことがない。そういう意味でも新鮮に感じられる小説である。
 農村育ちの僕にも自分の体験の記憶と重なるようなエピソードが幾つか展開される。
 総じて、戦中から戦後にかけては、幼少年の性に対しては幾分おおらかだったのではないかなと時々ほほを緩めながら、読み進んだものである。勿論、後でこの少女がハルピンの娼婦街に売られていく顛末も記されてはいるのだが。(続)