運転ー瀋陽日記

 ブログを少し休んでいる間に、清明節に入ってしまった。というのも、3月はとても忙しかった。
 教師の会の世話役に加えて、学校が新しい試みとして、市内に培訓学校を立ち上げたので、まだ赴任していない日本語教師の代役を務めなければならなかった。それにまつわる話題は色々あるのだが、今日の所は、送迎してくれている二人の先生の運転に関する話しを少し。
 A先生は女性の国語の先生だ。大体毎朝、7;15に校門から三好街の培訓学校まで我々日本語教師を送ってくれる。彼女の運転は極めて慎重だ。慎重だから余り頻繁に車線変更などしないし、左折などで待っていても、後ろからきた車にどんどん割り込まれてしまう。すれすれで割り込まれると彼女は思わずブレーキを踏んでしまう。その隙に、次々と割り込まれてしまうのだ。
 一方、B先生は男性の日本語の先生だが、彼の運転は神業懸かっている。A先生が35分程掛かるところを25分で行ってしまう。荒っぽいとは言えないが、乗っていてかなり冷や冷やする。僕は助手席に座るのだが、運転者の気分になってみているから、思わず「アッ」と声が出てしまうこともある。言うまでもないが、中国は左側にハンドルがあるから、右側の助手席は日本の運転席のような気分になる。
 その一例は、右側への急な割り込みだ。中国では車線変更は常識なので、あらゆる車が縦横無尽に走っている。彼は車線変更するときは間合いを計って、右側車線に少し車の鼻を出す。無視する車にぶつけられないぎりぎりの程度に出すのだが、相手がビックリしてブレーキを踏んだ隙に、その前に割り込んでいくのだという。A先生がされたのと同じ行動をB先生はやっている。
 さらに、割り込まれないためのテクニックも聞いた。信号の前などでは割り込まれそうな車線との境界の白線の上に片側の車輪を載せて止まるのだという。いくらか空間があっても、鼻先を擦ってしまいそうなので、他の車は割り込みを遠慮するのだという。
 Bさんは「中国で車を運転しませんか」と誘ってくれるのだが、僕にはBさんのような心臓がないので、丁重にお断りしたのは言うまでもない。そんな命がけの運転はしたくないよという本音は言わないで。ともかく瀋陽の交通渋滞はひどい。そして事故も多い。誰もがこんなことをやっていたら、そりゃ事故も起きるよなと慨嘆している。