蛙ー瀋陽日記

 清明節の中日に学生からの誘いがあって食事に出かけた。
 行ったのは口福軒という学生の親がやっている店だ。この店には昨年もお世話になっているのだが、瀋陽では知る人ぞ知るという、かなり有名な店だ。
 少し早い昼飯を学校で摂っていると、先日到着したフジさんとキツさんが現れたので誘ってみると、一緒に行くと言う。
 学生の側は3人で、日本人教師が3人の計6人が食卓を囲んだ。
 はじめに前菜としてか、時間待ちのためか、フルーツの椀が出てきた。続いて草魚の香草煮込み風の鍋が出てきて、乾杯した。我々はビールだが、学生は皆遠慮して、コーラとジュースだった。何度も書いているが、彼らはほとんど18歳を超えている。中国では、18歳が成人年だから、勧めても悪くないのだが、19歳のジョ君などは「近頃突然、ビールが飲めなくなった」と言いだした。初めて知ったのだが、中国では煙草は18歳以上でないと買えないのだが、お酒は特に既定がないそうだ。だから一般にはそんなに厳しくはないという。その話を聞くと、まんざら、遠慮しているわけではないように思えた。
 暫くすると、店主の父親が現れて、「蛙は食べられるか」と聞いてきた。息子(学生)の通訳でその内容を知ったのだが、我々3人ともが「なんでも食う」主義だったから、喜んで賛成した。すると、父親は調理場に下りて、問題の蛙を持ってきて見せてくれた。予想した食用蛙(牛蛙)ではなく、「林蛙(リンワー)」だという。父親の解説に拠れば、長白山系の山中に生息する蛙で、冬眠中に捕獲したものだから、内蔵には捕食した物など何も入っていない、それを冷蔵していた物を料理に使うのだという。

後で辞書で調べると和名は「アカガエル」とあった。確かにトノサマガエルなどとは違って、お腹が一面に赤かった。父親は早速料理に下りていった。その間、定番のように、酢豚やエビの唐揚げなどが出てきた。小1時間して、蛙料理が並べられた。林蛙を軽く揚げて、ジャガイモと一緒に煮込んだ料理だった。元のものよりも蛙の肌が黒ずんでいたが、蛙の姿のママ煮込んであった。蛙の姿のママに一瞬躊躇ったが、三人ともが箸を付けた。先ず脚から口に入れてみたが、食感は手羽先(手羽中)の煮込みと似ていてそんなに違和感はない。だが、腹部を食べてみてびっくりした。

腹の中には小型のキャビアのような黒い卵がぎっしり詰まっていて、噛むとプチプチと食感が良い。なるほど、冬眠中の蛙は、春先の産卵に備えて、お腹の中は卵で一杯なのだと納得させられた。勢いで頭部まで残らず食べて、少なくとも三匹分は平らげた。息子のテイ君の解説によると、10数年前、その食材を初めて扱った父はジャガイモと同じ時間も蛙を煮込んで失敗したのだという。失敗とは恐らく蛙の姿がどこにもないスープのようになってしまったのだろう。とすると、我々が今食べた料理は一〇年に及ぶ研鑚の末に完成した物のようだった。人生初めての口福(幸福)を味わった貴重な体験になった。