瀋陽日記ー剣道3

 この瀋陽剣道友会と日本の剣道界との交流の話は今着実に進行している。剣道5段の友人がいて、大阪の剣道場とこの会とを結び付けようと力を貸してくれている。今年中には、8段の師範を中心にして、7段6段の猛者が信用を訪問してくれることになりそうである。このことはいずれ報告することになるだろうが、今日は前回の続きを描こう。
 練習が終わって、剣道友会の有志が会食に誘ってくれた。我々二人のために、館長を始め6人のメンバーが集まってくれた。場所は中外の近くのレストランだった。会食が進むうちに、同行のフジさんから、「みなさんはどうして剣道を始めようと思ったのですか」と質問が出た。僕も内心聞きたいと思ったことだったので耳を澄ませた。
 まず館長から、「僕はもともとテコンドーの教師だったんですが、この競技を年老いてまで続ける自信がなかったんです。老年になればなるほど円熟していくブドウを探していて、ある時、ネットで剣道を見つけたんです。その時、これだと思って、北京の道場に入門しました。2006年に習い始めて半年で初段を取りました。その時は、まだ生活の手段として剣道を考えていました。2007年に瀋陽に戻って道場を開きましたが、教えれば教えるほど、学べば学ぶほど剣道の奥の深さに見せられました。片手間ではなく、剣道の普及に自分の人生をささげようと決心しました。教えた生徒は200人ほどいます。全国の剣同教会とも連絡を取って、防具を下げて訪問すればどこでも歓迎して貰える関係ができました。私の妻も実は教え子の一人です。娘が生まれましたが、娘が成長して大人になったころは、実際に指導できなくても、稽古を見ながら指導したりする自分の姿が理想です。今は、世界大会で韓国の選手との試合で右ひざを骨折してしまったんです。」と言いながら館長はズボンの裾をめくりあげて、膝頭を見せてくれた。確かに手術の跡が数か所あった。
 そばで秘書長役の傅さんが解説した。「館長は館の運営のために、百万元の貯金を使ってしまったんだそうですよ。」館長が語り継いだ。「今は、剣道の奥の深さに魅了されているんです。年を取って、身体で教えることができなくなっても、言葉で教えることができるようになりたい。教えながら、私も日々精進しています」