中谷風の瀋陽以前2

今日のブログを書こうとしていたら、なんと、大地震の情報。テレビの大津波の映像にくぎ付けになりながら、関東にいる二人の息子の家族の安否の確認に余念がなかった。阪神淡路大震災の記憶が生々しくよみがえってきたりした。幸い二人の息子家族は全員無事で、ほっと安心したりした。被災された方々に心からお見舞い申し上げます。さて、今日から、瀋陽以前ということで、いくつかの連載を始めようと思う。
 
  春蘭とマムシ満州
 口能登の地溝帯は眉丈山と碁石が峰の山系に挟まれた平野部として広がっている。碁石が峰は里山の一種であり、比較的険しい所でも5百m足らずの山である。
 フォンの家の山は、その里山が地溝帯に向かって緩やかに裾を広げてくる里と山の境目のあたりに点在していた。春先の山仕事は、三月の中下旬から始まる。主には、春先に植えるジャガイモの種植えのために畑を起こすが主なものである。
 フォンが父親の山仕事に付いてこの里山に来出したのは、小学校も低学年頃だったろう。畑を起こしていた父親が、突然、「フォン、動くな!」と鋭く言って鍬を持って近づいてきた。素早く下した鍬の背の先には毒々しい小豆色の輪をいくつも描いたマムシがのたうちもがいていた。父は地下足袋でその首を抑え、腰につるした手拭いを裂くと、器用にマムシの首を縛り、傍ら柿の木に吊るした。
 「これで、いいマムシ酒が作れるぞ。」と父は笑いながら言ったが、フォンはまだ、そのマムシが忍者のように体をゆすって、手ぬぐいの首輪をすり抜けるのではないかと不安で堪らなかった。蛇は纏わりつくものがなければ身動きできないし、マムシは鰓が張っているので、絶対に首から抜けることはないと父は言ったのだが。(続く)