中谷風の瀋陽以前3

 今日も地震の続報が続く。津波の威力がこのように凄まじいものだとは想像だにしなかった。
人命救助と一日も早い復興を願いたい。

  春蘭とマムシと“満州”(2)
 柿の木にぶら下がっていたマムシは夕方には、父の鍬の先に吊るされて、父の歩幅に合わせて、またもや、身をよじっていたが、家に帰りつくと、焼酎の一升ビンの中で水泳をすることになってしまった。一升ビンの口に奴の頭を入れると、奴は、あたかも自ら望んでいたかのように焼酎のプールを潜水し、ビンの底にたどり着いた。頭を下に蜷局を巻くと、やおら、出口を探して戻ろうとするが、自分の体が邪魔をして戻ることができない。奴は恨めしそうに、ガラス越しに覗き込んでいるフォンの顔を見ながら、大人しくなった。大人しくはなったが、その後小半時は焼酎の海の中で、もがいていた。いつまで生きていたのか、確認はしなかったが、翌日には完全にくたばっている姿を流しの三和土で見ることができた。「奴がもがいて、葉から出す毒が強壮剤になる」と父は言っていた。
 中国の歴史に、強壮剤を服用していた皇帝が、毒物中毒と同じような症状で死んだ記事がかなり頻繁に出ていたが、やはり「極微量の毒物は強壮」は、漢方の古来からの考え方だったのだろうか。
 村には、高学年が中学年や低学年を教えるいくつかの伝統的な行事があった。春先のジャガイモの植え付け、六月の虫送り、秋の獅子舞、正月の左義長の準備などがそれだが、山遊びもその一つに数えられる。
 小学校も中学年くらいになると高学年の誰かの引率で、山遊びをする。最も楽しいのは秋の栗取りやアケビ取りだが、春には春の山遊びがあった。多くは山菜や雑草をいかにして食べるかに関係していた。今思い出してみても、よくぞあれだけなんでも口に入れていたものだと感心するくらい、色々な草の芽や根や茎を口に入れた。蓬はもちろん食べるのだが、子供にとっては、絶好の止血剤だった。刃物などで作った切り傷には道端の蓬を揉んで当てるのが一番だった。蓬を当てて手拭や包帯できつく縛っておけば、間もなく出血は止まった。
 スイコと言っていたイタドリなどをし噛むのは常のことだったが、ムシャムシャと言っていた雑草の根などは、いまだに名前のわからない不思議な根だった。味は大してないのだが、噛み続けていると、チューインガムのような粘りが感じられるようになった。
 食べたのではないが、春蘭もまた、不思議な花だった。(続く)