中谷風の瀋陽以前(4)

 今日もテレビの前で、震災情報に釘付けになっている。阪神大震災の経験を思い出して、居ても立ってもいられない気分になるのだが、ライフラインが確保されていない状態で、慌てて何かしようとしても足手まといになるのではないかと思いとどまっている。こんな思いの人は多いのではないか。また、4月からは中国に行く身にとっては、無責任な行動もできまいと自重している。

 春蘭とマムシと“満州”(3)
 
 春蘭は春先に小さな花をつける。薄黄緑が先から白くなっていく花びらに小豆色の斑点が散らばっていて、真ん中の突き出たところは赤いものや、黄色味を帯びているものなど、いろいろある。胡蝶蘭の一つの花びらを小さくして、一つ一つ山道にばらまいたように、道のあちこちに見つけられた。
春蘭のことをなぜ「ジジババ」というのか不思議がっていると、6年生のデオが教えてくれる。「ジジとババのあっこに似とるからや」。3年生のフォンには、それが何を意味するかはにわかに理解できなかったが、デオの口ぶりからそれが大人びたことなのだと知れた。
 村の子どもは、意外と早熟である。若い衆の下の少年団として、年長の者から村の行事のあれこれを教えられるのと同じく、男女にかかわることも、比較的早い時期に口伝えに教えられる。「火の用心」の夜回りの途中に、新婚家庭の婿殿をひやかす言葉が挿入されたりした。それは決まって、デオなどの上級生の提唱から始まるのだが、言い終わると皆急いで逃げ出したりした。翌日、母親から小言を言われることになったのは言うまでもない。
 春蘭のあの可憐な姿が、「ジジババ」という独特の響きと重なると、幼心の何とも言えない罪の意識と分かちがたく結びついてくるのだ。

 “満州”と呼ばれていた夫婦が何時からその谷合の掘っ立て小屋に住み着いたのか知らなかったが、フォンが意識的に物事を考えられるようになってから、つまり、物心が付いたころにはすげにそこに住んでいたのではないだろうか。
 (続く)