中谷風の瀋陽以前5

 昨日が神戸の日本語学校の最後の授業だった。クラス管理者の希望によって、最後の授業は「短歌・俳句の作成」で上級1、2クラスでそれぞれ2時間授業をした。なかなか味わいの深いものもあった。卒業式の後のパーティで発表する予定だ。“異国にて初めてなせる三十一字故郷の父母懐かしみ居り”“震災の被災者に向け頑張れと中国留学生も和歌に詠み居り”この学校の留学生の中の何人かは、今回の震災に深く心を動かされているようだ。
 震災の報道を見ていて、阪神大震災の時もそうだったのだが、メディアは耳目を驚かす象徴的な場面に報道が集中しすぎているように思う。
被災地のどこにも命にかかわるような、個人的な(といっても決して小さくない)多くの事実に溢れているはずなのだ。そうした、個々の事実にできるだけ拘わってみたい。