中谷風の瀋陽以前(6)

 瀋陽への渡航の日が決まった。瀋陽の学校での労働の許可が下りたので、これから領事館に「労働ビザの申請」を行うという知らせが、京都の日本語学校の担当者から入った。特に、瀋陽の白副校長からできるだけ早く来てほしいとの要請があり、3月29日に出立することにした。我が愛人(妻)の体調も精密検査の結果異常なしとのことで、同じ日に同行して現地に行くことにした。
 昨日、呂君から電話があり「東京の友人から、中国からチャーター機が来て、多くの中国人留学生が帰国している。先生もできるだけ早く瀋陽に行ったほうがよいのではないか。」と言ってくれた。「心配してくれてありがとう。」と答えておいたが、少し日本人の感じ方との間に落差があるような感じがした。この感覚は、例えばアフガニスタンの戦場の村で日常生活をしている庶民の感覚を遠い日本で想像できなかったことと通い合うものがある。我々にしても、この大4島の島国から逃れてどこに住む国を想像できるかということでもあろう。