中谷風の瀋陽日記・以前11

  春蘭とマムシと“満州”(5)

 もともとフォンは信じやすい質で、“カブソ”と言っていた河童や山姥、果ては、空中から下りてきた釣瓶が人間を攫っていくという“ツルベ”さえも信じていた。同級のミノルが焼き場に近い川の淵で河童を見たと言ってからは、何度もこっそり見に行ったものだが、遂に1度も“カブソ”を見ることはなかった。
 なのに、こんな場所で“ヤマンバ”のような人に出会ったので、好奇心がありながらも、早くその場を逃れたいという恐れが勝って数歩先に歩き始めていた。父は話を切り上げて山道に入ってきたが、歩きながらぽつりと「あの家はな、満州から帰ってきたがや」といった。これが「満州」に出会った初めての体験であった。
 その日の山仕事はジャガイモの植え付けの前の畑起こしだったのか、杉の枝打ちだったのか、思い出せないのだが、夕方近くなってから、父と山を下りた。(続く)


 つい1ヶ月前まで、宝塚日本語教室で、「残留孤児」の帰国者1世、2世と日本語の勉強をしていた。私の中国に対する関心、“満州”に関する関心の淵源を明らかにしたいと思って、この話を書き出している。