中谷風の瀋陽日記(5月)

  恋愛の自由
 日本人にとっては吃驚するようなことだが、中国の中高生には恋愛の自由はない。少なくとも、校内で恋愛関係にあると知られれば、指導の対象となるようだ。その理由の第1は恋愛に没頭すれば学業に支障をきたす恐れがあるということ。第2は、人口膨張を防ぐ一人っ子政策などと同じく、政府は晩婚を進めており、高校生はまだ恋愛をうんぬんする年齢ではない。第3は、2と関連するが、高校生ではまだ未塾で、人生の伴侶を見つけ出すほど、人間を見る目が成熟していない。ということだろうか。
 そこで、高校生に「中国の高校生に恋愛の自由を認めるべきか、否か」で議論をしてもらった。(日本語で、そうでないと私には分からない。)さすが議論好きな国、堂々とした議論を展開した。
1.認めるべきだ。脳科学的にみても、恋愛は脳に麻薬のような刺激物質を与えて幸福感や成就感などを与え、脳の活性化を促す。また、恋愛は人間にとってごく自然なことであり、それを規制しても、何の意味もない。恋愛は盲目性に特徴があり、「別れろ」といっても、引き離すことはできない。(医学部志望・男子)
2.認めるべき。恋愛はもともと自由なものだ。また、誰にも迷惑をかけるものではない。規制しても、恋愛感情は自然に芽生えるものだ。さらに、時には複雑な関係になったりするが、それが、複雑な人間感情などを学習するいい機会になる。様々な人と交流する力を付けることができるなど、多くの利点がある。(理系・女子)
3・恋愛は人間教育の一部だ。つまり、社会、数学や物理などと同じく、学んでいく必要があるものだ。恋愛経験がないと社会に適応する能力に欠けるということが起こりかねない。(工学部志望・男子)
4・認めるべきではない。上記3点の理由で。(私)
5・「晩婚化」を奨励すると言っているが、恋愛と結婚はすぐには結び付かない。それでも、恋愛は美しいものとして、心の中に残り続ける。結婚までに、恋愛によって恋愛のスキルを磨く練習をすればよい。(博士志望・男子)
6・勉強に悪影響が出るといっても、個人差がある。出ても、本人の責任だ。(転校生・理系男子)
  と議論はますます、熱を帯びてきた。日本の高校では、あまり見られなかった光景だ。後半は後日。

 学生から「山海経」をプレゼントされた。魯迅の「阿長と山海経」という文章の話をしたら、街の本屋で探してくれた。感謝して本代を払うと言ったらプレゼントするという。喜んでいただくことにした。中身は、子供向けに書き直した絵本の形式だった。かえって分かり易くてよかったか。