中谷風の瀋陽日記

 1Q84
 村上春樹の小説「1Q84」を読んでいる。日本語と中国語(これは一部分)で。日本語版は学生の一人が留学中に購入したもので、3巻揃っている。中国語版は、本屋の店頭にあるのを見つけて、購入した1,2巻である。もともと、日本では正装版は重たいし、高いので文庫本になるのを待とうと敬遠していたのだが、こちらに来て、学生の中に回っているこの本を見つけてからは、借りて読み始めた。
 13日までには読み終わらなくてはいけない。それも、出来るだけ早く。というのも、この本の「読書会(読者会)」を学生が企画して、ぜひ出てくれというのだ。実の所、村上春樹は好きな作家の一人だ。昔、学生の頃、埴谷雄高カフカ、カミユなどの影響下にあって、構想を立てていた小説などとよく似た実験小説的な趣が好きだからである。彼は才能が有り、実際に小説化したが、こちらは小説化していないし才能も(?)。
 「空気さなぎ」「さきがけ」「ふかえり」「青豆」「天吾」「牛河」「パシヴァ」「レシヴァ」「マザ」「ドウタ」等等の村上用語が出てきて、その内容を理解するのに時間がかかっている。しかし、理解しようとすることが、そもそも間違いなのではないかと思う。「月が二つある世界」など、そもそも理解を超えている。それは、提示されたものをそのまま受け取る以外に方法がない世界だ。無条件に、そして全面的に。
丁度、1984年と併存する1Q84の世界を受け入れるほかない登場人物たちと同じように。「これはもともと俺のいた世界ではない」と牛河は感じる。
 さて、学生との読書会はどんな不思議な展開をするのだろうか。