編集2−瀋陽日記

 日系企業の好意で、午前中で印刷が終わった。こちらは、原版と用紙の持ち込みだけで、あと一切の費用は請求されなかった。それなのに、中国人スタッフが朝から1人、ずっと私たち(というよりコピー機)に着き切りであった。その人件費も考えたら、相当な費用をこの日系カメラ会社は負担してくれていることになる。さすがと、この会社と瀋陽日本人会と我々の交流の歴史の厚みを感じさせられた。感謝の念でいっぱいだ。
 ところで、別件だが、某氏がこの歳末で日本に帰国するということを聞いた。海外勤務29年になり、この29年間、1度も日本で勤務したことがなかったというのだ。一瞬、呆然としてしまった。企業社会では珍しくもないのかもしれないが、私などの感覚からすると、29年は長すぎる。海外勤務は、合計33年と言っていたが、定年前の2年間は本社勤務になったそうだ。「仕事があるんかいな」と言いながら某氏は嬉しそうだった。昔よく使った「遥かなる祖国」という言葉が、急に生々しい実感を持って蘇ってきた。某氏はそういうセンチメンタルさは微塵も感じさせなかったのだが。私たちの分類で「さようなら瀋陽」に属する人が今年も多い。総領事もその一人だとのうわさもあるが、真実のほどは明確ではない。