旅順ー瀋陽日記

 東鶏冠山はこのように完全なトーチカだったが、同じような作りのものが、両杵炮山、盤龍山、二龍山に数多く点在していたようだ。それを突破するために、1万数千人の将兵が屍を塁々と晒していたというのも無理はないと感じざるを得ない。原作に司馬遼が書いていたように伊地知以下の第3軍の参謀たちの教条主義を責めるのも、随分酷なことだったと思う。それほどの、強固さを思い知った。しかし、こういう寸土を争う激戦の末にかろうじて掴んだ「勝利」というものの重さは、のちの時代を合理的思考に導いてくれはしなかった。「物量を超える精神主義」という新しい教条主義を呼び込んだだけであった所に、日本という国の不幸があったのだ。
 NHKの描き方は理性的であろうとしながらも、やはり、古くからの戦争もの(国威発揚ドラマ)のパターンを脱してはいない。ついでにもう一言いえば、そこが中国であり、当然のことながら数多くの中国人がその戦渦に巻き込まれ、家産や命を失っていたという事実の抑えは、庶民らしい中国人親子や子供の逃げ惑う姿を描くだけでは、いかにもつけたしにしか考えられない。このことは司馬遼自身の問題・限界なのだと思うが、この程度の描き方だと、このビデオは中国人には見せられない。あえて言えば、この戦争(日露戦争)がロシアや日本の国土で戦われたのではなく、中国という余所の土地で戦われたのだということについての何がしかの痛みなしには、この戦争の新しい見方は生まれてこないような気がする。
 このことは、僕が新たに言っていることではなく、魯迅が「藤野先生」や「『吶喊』自序」のなかで示唆していることでもある。
 こういう感想とは別に、山上はマイナス10度ぐらいになっていた。特に風の当たるところは、体感温度はマイナス20度のように感じた。そんな中で、素手で銃を構えて打つことは可能だったのだろうか。ほんの些細なことだが、気になる。NHKの描き方が。