旅順2ー瀋陽日記

 旅順の町並みは大連を小振りにした印象で、同じようにロシア風の建物などが残っていた。その代表的なものとして、旅順駅の駅舎が保存されていた。保存というよりも、今も駅舎として活用している。駅舎に入ってみたら、中には列車待ちの人々が行列を作っていた。その人いきれで暑いように感じる混み具合であった。
  

 少し早目であったが、水師営の日ロ会見所の側の食堂で昼ごはんにした。水師営へ入る観光客は流石日本人ばかりだったが、食堂の方は結構中国人観光客や地元の人が昼食に余念がなかった。
 

 午後からは203高地に行ったが、中腹に車を置いて、徒歩で100mほど登った。気温は午前中と変わらず、北風をまともに受けるところはやはり体感温度マイナス20度という感じであった。山頂について、旅順港を望み見た。思ったより遠くに感じられた。山頂から港までは4㎞ばかりあるらしい。「坂の上の雲」の秋山真之が「203高地を取れば、旅順港は眼下に見下ろせる」と力説していた印象が強すぎたのだろう。ガイドに聞いてみると、砲撃は前の小山に砲台を置いて、203高地から角度や仰角を指示したそうである。なるほどそれならば、ロシア軍艦を砲撃できたのも頷けた。
 山頂の砲台は後に作ったものか、旅順港に向けられていたが、置いてある大砲は(ミニチュアらしく)なぜか逆方向を向いて設置してあった。山頂の有名な「爾霊山」と題する砲弾の形をした慰霊塔をバックにして記念写真を撮った。「汝の霊の山」という意味のこの漢字は、中国語では「アルリンシャン(erlingshan)」と発音し、「203」の読みに通じるという。
 「一将功為りて万骨枯る」と後世伝えられた、この戦場を乃木は二人の息子だけではなく万余の将骨・士卒の霊の泣く所だと思ったのだろうか。
     
 山頂からの帰途、北斜面の幾分下った林の中に「乃木保典君戦死之所」と題した石碑があった。確か大正年間の物だったから、「日露戦争が神話化」された時代に建てられたものなのだろう。骨の髄まで冷えた、そして寒々とした登山であった。