暖春ー瀋陽日記

 『暖春』とは映画の題名であって、決して瀋陽春節が暖かいと言う訳ではない。実は『山の郵便配達』で知られる霍建起監督の『暖(nuan)』という作品を探していて、この作品を見つけた。山西省電影制片と書いてあった。監督は烏蘭塔娜(ulantana)という、モンゴル系(?)の人だ。
 7歳の少女が夜道を逃げているところから始まる。少女は父母に先立たれ、唯一の身寄りの祖母も亡くなって、村に居場所がなくなったらしい。気を失っている少女を発見した村人がどうしようか思案している時に、宝家のお爺さん(老爺)が引き取っていく。宝家にはすでに息子の子供が3人いて、他所の子を引き連れてきたことに息子の嫁は納得しない。食べるものにも厳しい目を光らせる嫁から逃れるために、宝老爺と少女(小花)は隠居所に竃を作り、自炊する。
 老爺と一緒にいる時の小花の子供らしいはしゃぎようがあどけなく、また、老爺や嫁への気の使いようが、いじらしくもある。何度か元の村に返されそうになったり、奉公に出されそうになったりしながらも、その都度、宝老爺に助けられて、小花は小学校に入れるようになる。
 学年の1番を取ったと喜び勇んで老爺に報告に帰ったその日、急な雨に打たれた老爺は肺炎になって生死の境をさまよう。「お爺ちゃん、目を覚まして。お爺ちゃんに喜んでもらいたかったから、一生懸命勉強したのに。」と泣きじゃくる小花。その献身的な看病や日ごろの行いから、ようやく小花に対して心を開いた息子と嫁。翌日から、親子水入らずの楽しい食卓がもどってきた。その時、宝老爺は息子(宝柱)も実は捨て子だったのを、宝老爺と村長とが相談して、秘密にして育ててきたことを打ち明ける。改めて謝罪する息子夫婦。そして村人の協力で、小花は上級の学校、大学へと進学する。最後は、村の小学校の教師として戻ってきた小花の点描で終わる。途中で、何回も涙が出た。小花が瀕死の老爺にすがりついて泣く場面では
特に。年が寄って、涙腺が弱くなっているのかな。ああいう農村の貧しさもついこの間のことだったような気がするのだ。そして、ああいう農村の雰囲気が、僕の子供の頃の日本の農村の雰囲気ともよく似ていたからかもしれない。例えば、1足の赤い靴を買って貰った時の喜びようなどが、本当にいじらしく、身近なものに感じられたのだ。