旧友2ー日本日記

 これも亡くなった友人のことだが、Nさんとしておく。
Nさんは生年月日が1月違いの全くの同世代ある。しかし経歴は私などと違って、随分苦労人である。解放教育の先進校に私よりも丁度2年ほど遅れて赴任してきたが、その前の仕事は庭職人と言う肉体派であった。登場したときから生徒に「土方のおっさんや」といわれていたが、その実とても繊細な気遣いのできる人物でもあり、その表面を豪放という仮面で覆っていたように思う。こんなことがあった。彼の担任の生徒に沖縄出身のN君がいた。このN君がシンナー中毒で酩酊状態で学校に現れた。先輩でもあり、野球部顧問でもある二人の教師が、殴ってでも止めようとしたとき、このN先生は倒れたN君の身体に覆い被さって、「ドツクなら、まず俺からやってくれ」とかばった。N君は残念ながら卒業はできなかったが、N先生のとっさの行動が彼の人間性如実に表しているようで、今も忘れられない。
 遺骨は海か川に撒くようにというのが遺言であったが、奥さんは小さなオルゴールに彼の遺骨を入れて、かつての彼の部屋に遺影と一緒に保存していた。なくなってからもう四年目になるのだ。奥さんは今やっとN先生がいないということに慣れてきたところだといっていた。