先駆者ー日本日記

 Nさんの岳父は著名な中国語学者である。お名前は聞いていたが、その来歴や学業などについてはあまり知らなかったのだが、Nさん宅を訪問した時に奥さんから詳しく伺う機会を得た。奥さんから戴いた著書から略歴を記す。
 1916年12月大阪府生まれ。 1934年満鉄撫順炭鉱入社。 37年北京に派遣され翻訳・通訳に従事。 41年9月北京大学入学。 45年7月北京大学文学院国文系卒業。 46年5月引き上げ帰国。 6月国際新聞(華文班)記者。 57年4月より関西大学大阪市立大学、神戸市外大中国語講師。・・・・・84年〜85年中国語学会理事長。87年関西大学定年退職。
 ここまで略歴を書くと知る人は人名を特定できるであろうが、この場では仮にS先生としておく。S先生が満鉄の撫順炭鉱の鉱夫からスタートした中国語の学者なのだということを聞いて驚いた。先生の著作『日本中国言葉の往来(ゆきき)』のなかでも、鉱夫などの現場で覚えた中国語であることが記されていた。
 先生もまた、日中のあいだにあって、両国の関係の改善のために生涯をかけた方であったのだ。本当に頭が下がる。私がNさん宅を訪問した日がS先生の命日の二日後葬儀の日であったとは、何かの巡り合わせであろうか。