文革ー瀋陽日記

 余華著『兄弟』を読んでいる。1年ほど前に買って家に置いていたのを見つけて読んでみたら、とても面白い。「俗悪なユーモア」に満ちている。中国でも評価がわかれて「傑作だという人とゴミだと言う人」がいるらしい。なにしろ、15歳寸前の主人公李光頭が便所で5人の女性の尻を盗み見たところから始まる。拒否感のある人はここからもう嫌になるに違いない。
 しかし、小説の前篇「文革篇」のメインは、言うまでもなく「文革」である。私は文革と同世代であるだけに、その当初は親近感を持ってとらえていた。それが、かなりおかしいことに気付くのは1968年頃だったが、それでも、外国のこと故、これほどの悲惨な事実があったとは当時もその後何年も信じられなかったものだ。
 「人間性」を完膚無きまでに叩きのめすようなリンチ、拷問が繰り返されていたことを、この小説は克明に書いてくれる。恐らくは、20年前なら、「血の涙無しでは書けない」ようなことを「ある種のユーモア」を持って書き進めてくれる。感情的な言葉がないだけに、その残酷さが胸に迫ってくる。曰く「肛門でタバコを吸わせる」というブラックユーモアのような拷問。
 李光頭の義父宋凡平は教師という知識人(元地主の階級)であったが故に拷問によって嬲り殺され、「肛門にタバコ」の拷問にも耐えた孫偉の父も息子が赤い腕章の連中の過失によって殺されたと聞き、釘を頭蓋骨に打ち付けて自殺する。
 
 文革の時代のことを一定の年代の人は語りたがらない。恐らくは、言っても通じない、恐れ、哀しみ、不信、憎悪、怨恨、悔恨などが心の奥底に仕舞い込まれているからなのかも知れない。