戦争ー瀋陽日記

 戦後生まれの私が生の体験としての戦争を聞いたのは大学1年の夏だった。
その年、十二指腸潰瘍の手術で金沢市内の専門病院に入院した。名医の評判が高かったので、病院は混んでいた。混んでいる上に緊急の入院があったりすると、病室の移動などが頻繁にあった。
 その日も、緊急の入院があって、検査入院に来ていた人がベッドを明け渡して、付添人のソファで休むことになった。明日が手術の私の部屋にもある男の人が入って来た。「病院が付き添いのソファで休めというものだから、悪いけど、一晩世話になる。」と言う旨のことを言ってソファに座った。年格好は50歳を少し出たところだと思う。父よりは少し若い感じの男だった。腰を下ろしたソファに足を上げるとき、左足の義足を脱いでいた。好奇心から、「どうなさったのですか、事故とか・・」と思わず聞いていた。「いや、戦争のせいや」とぽつりと言って、男は黙った。
 病室の夏は暑い。病室にクーラーなどない時代、私も男も不意の同室で寝付けなかった。すると、男は問わず語りに話し出した。「中国の華北に太行山脈いうとこがあるがやちゃ。わしら徴兵で送り込まれたんが、その山脈の山の中やった」「にいちゃん、8路軍って知ってるか」「うん、知ってるけど」「8路軍は強かった。どんだけ叩いても、掃討してもすぐまた巻き返してくる」
 男は語り続けた。私は中国を専攻しようと思っていたから、当時少し中国語を習い始め、中国の地理なども少しは知っていた。ただ、話を聞きながら頷いたり相槌を打つしかなかったのは、手術を明日に控えて、空腹だったせいだけではない。45年過ぎた今も鮮明に覚えているほど重かったからだ。
 「この左足は戦場に置いてきた。置いてきた言うても、取りに帰ることもできんが。・・・その日の戦闘も激しかった。中国人はゲリラ戦が得意や。昼間は農作業をしているもんが、夜には兵隊に変わる、奴らは夜目も良いから、どっからでも撃ってくる」(この項を少し続ける。その人が語った当時の言葉をできるだけ再現しようとしているので、現在では不穏当な言葉がでてくるが、ご容赦願いたい。)