兄弟ー瀋陽日記

 余華著『兄弟』を読み終わった。エンタメのために後編はことさら喜劇性を強調していた。「全国美処女コンテスト」と来ては、まさに興味津々。息もつかせずに読ませるのだが、前篇の文革編が沈痛な色調であったのに比べると、何とも、シッチャカメッチャカのストーリーになっていた。作者自身が「文革編では悲劇の中に幾分の喜劇を、改革開放編では喜劇の中に幾分の悲劇を書き込んだ」と述べている書き振りだった。私としては、やはり、文革の沈痛を貴ぶところがあるが、この極端から極端への変貌ぶりがまさに中国なのだと言っているようにも見える。ことここまで来てしまうと、もう後戻りはできないようにも見えるが、しかし、今の現状に大いに不満の原則主義者の方々も健在なようだ。
重慶市の王立軍事件と薄熙来(はくきらい)書記の件では、党中央もやや厳しめの対応をしているようだが、現在の中国の格差社会に不満を持ち、貧しくても平等だった「毛沢東時代」に郷愁を感じる庶民もまた多いのだと言う報告もある。
 歴史は、恐らく「振り子」のように左右に揺れるのだから、今よりもかなり左に寄った政策・運動が展開される日が来るかもしれないという気もする。つまり、より国家の統制が強固になる日々のようにも見える。果たしてそれは来るのか。