現場ー瀋陽日記



 ここ1週間ほどは、yahooなどのネットのアクセスが非常に悪い状態が続いた。そのため、普段のメールのやり取りにも不自由する状態になってしまった。
 前置きはさておき、皇姑屯事件張作霖爆殺事件の現場を探してみた。それというのも、新田次郎の『マンチュリアン・リポート』を読んでいて、瀋陽市内の比較的近いところに現場があることに改めて気づき、現場を目にしようと思い立った訳である。『マンチュリアン・リポート』の挟みパンフに、皇姑屯事件記念碑の前で写っている新田次郎自身の映像もあって、簡単に探せるだろうと高をくくって出かけた。瀋陽駅から勝利北街を30分ほど北上した。途中、西塔を右側に見て、長い十字陸橋を上り下りして、辿り着いた所が、写真等で良く見る「京奉線と満鉄線の交差する場所」であった。ところが、ガード下の辺りから、線路際に防音壁のような遮蔽板が貼ってあって、向こう側にあるはずの「記念碑」が見えない。大連ー瀋陽北線(旧満鉄線)の線路肩ののり面に登って向かい側を見ると送電用電柱の間にそれらしい記念碑が見られた。望遠で拡大して写真を撮ったがあまり鮮明な写真にはならなかった。そこから、100mほど西に行った所に地下道があり、北京ー瀋陽北線(旧京奉線)を潜って反対側に出た。そこからは線路の交差する状況は良く見られたが、肝心の記念碑は見えなくなっていた。
 新田次郎氏はいったいどうして、あの記念碑に近づけたのだろうか。どこにも入れる場所はないのだ。(以下続く、ネットの状態が良ければ写真をアップします。)