長春7ー瀋陽日記


 写真で見えている正面入り口は、実は、観覧ルートの出口になっていた。競馬場、温室と見て回って、いよいよメインの建物群に入ろうとしたところが興運門であった。音声ガイドで、この時計が9時10分で止まっているのは偽満州国の崩壊の日の時刻にちなんでだと言ったような気がしたが、盧溝橋事件か柳条湖事件にちなんでと言っていたのかもしれない。いずれにしてもよく聞き取れなかった。
 


興運門に入って向かって左側に宮内府があり、そこを出て左、東進すると、勤民楼、懐運楼といった建物があった。一つ一つ見て回るのはいくらか骨であったが、しっかり見た。




溥儀が外国の使節などを接見するのがこの部屋なのだが、普通、天子は南面するものなのに、この部屋の主は西面するようになっていたそうなのだ。つまり、謁見を請う人は東(日本)に向かって謁見をお願いすることになるのだ。そういう配慮(というか狡からい浅知恵)が至る所に込められた建物のようだ。盗聴器が仕掛けられていたので、溥儀は側近や妃と話すときも声では「五族協和」と言いつつ、もっとも言いたいことは筆談で行っていたということだ。