長春8−瀋陽日記

 
 同徳殿を出ると、前には日本式庭園が広がっていた。瓢箪池の中には錦鯉や金魚が泳いでいる。中国人のカップルが写真を撮っている。

その池の向こう側には「建国神社」の跡地があり、日本から分祀したご神体(3種の神器)を格納する防空壕が側にあった。



溥儀自身は一度も使ったことのないプールを左に見て、築山の裾を行くと防空壕の入口があった。築山自体が防空壕の覆いであったのだ。防空壕を地下に降りていくと、肌寒い空気に湿り気が多く、長期間の使用に耐えない物だと感じられたが、建設当時の姿をきちんと保存していた。壕と言うものは元来狭苦しいもので、閉所には圧迫感を感じるので、早々に引き揚げた。

 順路に従って行くと、百年蒸気機車がきれいに塗装しなおされて、展示してあった。百年前の製造だが、埋められていたのを近年発掘し、修理して展示したもののようだ。日本のD51などより一回り大きめの機関車が何か場違いな雄姿を見せていた。


 その左側の大きな建物が「東北淪陥史陳列館」であった。自国の歴史なのだが沈淪の淪と陥落の陥の文字を用いているところが、中国側の認識として、口惜しく、恥ずべきことであり、決して忘れてはならないという息遣いを感じさせる命名である。
ジオラマ満州国国務総理と関東軍司令官が協定に署名している場面であるが、個人名を書きとめなかったので失念した。
 展示物は多岐に亙るが、918記念館や731部隊の旧跡とかなり重複していた。
 全てを見終わって出口を後にすると、もう夕方であった。