威海ー瀋陽日記

 誕生祝い
 二日目は、俊君の祖母の誕生祝いに参加させて貰うことになった。
祖母とは父方の祖母なのだが、父は次男で長男と三男共々、同じ村で生活している。長男家と三男家はどちらも林檎農家で、幹線道路から村の小径に入ったところは、林檎園に接していて、車の窓から手を伸ばすと林檎をもぎ取ることができる。事実、運転していた夢さんの母堂の勧めで一つもぎ取ってみた。分厚い袋掛けの中にまだ青い林檎が掌に収まりそうな大きさで入っていた。完熟したものとまだ青いものとを持ち帰って、サラダに入れてみたところ、少し渋みは残っているものの、野菜の一種としては十分に食べられた。結構美味しかった。林檎は国光林檎の系統か少しすっぱみがある、果肉のふわっとした種類である。中国でも富士は大人気で、市場に出てくるものでは、最も高値のものだが、この村のものは、その前段階のもののようだ。
 俊君の父親はホタテの加工販売を仕事にしているのだが、去年頃から、採れるホタテの粒が小さくなり出して、業績不振の状態である。
また、母親は村の村長をしているが、この村は大きく東西に分かれ、それぞれが200戸ほどの家があり、合わせて400戸の長が母親である。日本で言えば、大きな村の区長の役割と言ったら良いのだろうか。日本の行政区画の村に当たるものは鎮といわれる。鎮はこの村を幾つか集めたすぐ上位の行政区画になる。この日はホタテの工場で仕事をしていて、遅い昼食に帰ってこられた姿から、まさに農業労働者という雰囲気が感じ取れた。
 中国では、年長者の誕生祝いに親戚一同が駆けつけるのが、今も根強い習慣となっているという。特に、子や孫は何はさておきその会に参加するというわけだ。この日は、4男1女の子とその孫達も一堂に会し、手料理の山を築いて、宴会の準備に余念が無かった。