秋寒ー瀋陽日記

 秋も深まってくると、夜間はさすが、零下の日々が多くなっている。今日は、最高気温6℃、最低気温ー4℃の晴れだが、この一週間では今日が底であって、土曜日には19℃、-1℃と予想されている。銀杏の葉はあっという間に散ってしまったが、桜や桃の葉はまだ青々としている。楓の種類が紅や紅色に染まって美しいのだが、こちらでは余り目にしない。
 10月29日(月)から暖房を入れ始めた。暖房機の中をお湯がゆっくり、チョロチョロと音を立てて流れ始めた。これがないと瀋陽の長い寒い冬は過ごせないのだ。
 ところで、朝日新聞の『声』欄に投稿したのだが採用されなかったようなので、ブログに載せる。
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 丹羽大使、ご苦労様でした
  日本語教師 n・y (中国遼寧省瀋陽市 65)

 丹羽中国大使がこの11月に退任される。大使の在任中の言動について、さまざまな毀誉褒貶がなされたが、私は心から「ご苦労様でした」とねぎらいの言葉を差し上げたい。
 大使の中国全土の行脚は中国在住の人びとには広範囲に知れ渡っている。「黄門様」と揶揄する向きもあるとは聞いているが、私のような中国東北の一都市に住み、日本語教育日中友好に微力を捧げているものには、大使の来訪は大きな励ましになった。
1昨年の4月、瀋陽市の「大学生・高校生による日本語スピーチコンテスト」の会場で丹羽大使の姿を見たときは、正直、感激した。約20万人といわれる中国在住日本人の多くは、会社からの派遣や、自力で応募してきた者や留学生であっても、また、単身赴任でも家族帯同であっても、それぞれが「日本」を背負って、日本人の代表として中国の人びとと向き合っている。決して肩肘を張るわけではないが、心細いときもあったりしてかなり疲れる日々なのだ。そういう私達にとって、大使の存在は「日本国を代表して、皆さんの活動を見守り、支援していますよ」という確かなメッセージになっていた。領事館の夕食会に招かれた中国人学生も、大使の暖かい配慮に感謝し、感激のことばを口にしていたことを今も鮮明に覚えている。
 今年6月、石原都知事尖閣諸島購入の動きに対して「(購入計画が実行されれば)日中関係は極めて重大な危機に陥る」(英紙フィナンシアルタイムス)と懸念を表明された。その後の事態の推移は大使の懸念通りになった。なのに、日本国内では大使の言動に対して外務大臣から注意があり、更迭という事態になってしまった。私は、中国の地にいて、切歯扼腕の思いでいる。
 政治家達の無責任な言動によって、日中で40年間をかけて築いてきた互いの国を尊重する態度や友好の精神が危殆に瀕している。こういう時だからこそ、丹羽大使に申し上げたい。「ほんとうに、困難な中で、ご苦労様でした」と。