懐旧ー瀋陽日記

 昨年亡くなった友人を記念して、追悼文集を出そうという話になっている。締め切りが過ぎているのだが、私にも何かかけて言うことなので、あれこれと書いてみた。その一部をこれから暫く紹介したい。
    
 遠く瀋陽から畏友を懐う  元同僚・在瀋陽(中国) zhonggu
 
 1 島問題あれこれ
 石原慎太郎の挙動に端を発した今回の「尖閣列島問題」で、日中の40年かけて築いてきた「望ましい関係」が危殆に瀕した。早くから、丹羽宇一郎駐中国大使が警告していたとおりになったのに、日本のジャーナリズムは中国に対して「屈服している」「跪拝外交だ」などと批判的であった。中国で目にすることができる「ヤフー(yahoo)」などでネット配信される記事は、産経、読売、時事などの論調が主流で、朝日、毎日は時たましか出ない。そんなニュースを毎日見ていると、ストレスが溜まって精神衛生に極めて悪い。実のところ、私は内心、腹を立て通しである。
 彼なら「Zよ。そんなブル新だけが情報源でどうするのだ。何を判断するのだ。」と苦言を呈されそうなきがする。しかし、日本の情報はかなり偏った情報しか入ってこない。それは、中国の情報についても言えることなのだが、私は今回の事件の当初は「これほど決定的に裂けるところまでは行くまい」という楽天的な見通しを持っていた。それは、私が日常触れあっている学生のものの考え方が、親日的であることに原因している。
 今回の「島」の問題で、少なからず、保護者や親戚から「中国の大学にしたほうがいいのでは?欧米の大学の方が良いのでは?」といった圧力を受けていたようだが、ほとんどの学生には、この件によって日本留学を見直そうというような動揺はなかった。しかし、私の学校以外の中国の大学における日本語教育などはこれからは冬の時代に入っていくのではないかという暗い予感がある。それは、中国進出企業の業績の大幅な下降現象としても現れているし、「チャイナリスク」に怯える企業の投資の手控えと「世界の工場」の南アジアシフトとしても現れている。つまり、「島」の問題をきっかけに日中は「冬の時代」に逆戻りしそうである。
 なのに、当の石原自身は都知事の職を投げ出して、政界再編だとか言ってはしゃいでいる。だれも、彼の無責任な振る舞いを止めようとはしない。おまけに、大阪までも「新全体主義」的傾向の新政党をちやほやする状態だ。一体、いつの間に、こんなに「右翼」が生き生きするような国に日本はなったのだろう。
 中国国内での日本人の団体は概ね今回の問題を契機にさまざまな面で自粛傾向にある。日本のある県が主催する懸賞論文に基づく「大学生日本語スピーチコンテスト」を瀋陽市で開催する予定であったが、今回の問題で中止のやむなきに至った。大は政府レベルの交流から小は個人の会食会まで今回の問題で影響を受けなかったところはない。約30万人といわれる在華日本人にとって今回の「島」の問題は厄災以外の何物でもない。(つづく)