懐旧2ー瀋陽日記

 2 我らの世代
 中国に来てみて驚いたのは、中国に滞在して日本語を教えたり、技術を教えたり、大学などの高等教育機関で教鞭を執っている人の中に、いわゆる団塊の世代やそれ以前の世代の人びとがとても多いことである。ある大学の生命化学の講座を担当している一人は、東京工業大学を定年退職した人であり、他の一人は東京大学を定年退職した人であった。学会のトップを務め、その世界では名の知れ渡った人が、こちらの大学で、講座を持って、すでに10年近く学生の指導に当たっている。誰も声高には言わないが、学問の発展のため、日中の更なる交流のためと思い定めて、この地に来ているのだ。また、日本でも時々テレビで報道されるように、中小企業の職人のなかで磨き伝えてきた多くの技を中国に伝えようとしている人びとも多い。そういう人びとに、退職後の数年を中国や韓国で技術移転に捧げようと心決めした人びとも多い。そういう人たちに取ってこの間の「島」の問題は、なんとも、苦々しくも歴史に逆行する問題なのだ。
 やはり、私達の世代が今、声を出さなければならない時期に来ていると思う。
 「従軍慰安婦」の問題は、少しでも勉強したことのある人なら、軍が関与していたことは知っている。関与していたからこそ、韓国でも中国でも関連する資料などを全て焼き払おうとしたのだ。私から見たら、全く不十分な「村山談話」「河野談話」でさえ、今否定しようとする勢力が盛んだ。
 手元に資料がないので出典を明記できないが、慰安所の経営者が軍の委託で軍の駐屯地の近くに慰安所を経営したことは明らかだ。「募集」と称する人狩りによって連れてこられた女性達がその慰安所で春をひさいだのが事実なのだ。戦争に行った男達は皆知っていた。「日本ピー・朝鮮ピー・シナピー」の順番に格が高かったということを。朝鮮人や中国人の女性のほとんどが拐かされてきた人びとだと言うことを。誰も「強制はなかった」とは思っていなかったことを。知っていることを敢えて言わなかっただけだ。それはやはり恥ずかしいことだからだ。恥ずかしいから言わなかったということと証言がないから事実がなかったということには大きな違いがある。私達の側は、少なくともそれくらいの事実認識をしておかないと、どだい話にならないのだ。その上で、李明博大統領のパフォーマンスをやり過ぎだとか、国際法を無視しているとか批判するのならまだ分かるが、植民地支配の罪悪について目をつぶっていて、韓国や中国の批判ばかりをする手合いが横行しているのはやはり何とも腹立たしい限りである。