東塔ー瀋陽日記

 

瀋陽には6つの塔がある。故宮を中心にした旧市街から東西南北に東塔、南塔、西塔、北塔と配置されている。西塔だけが、故宮からやや西北よりの西に位置しているほかは、ほぼ正確に4方位の3方に位置し、しかもほぼ等距離にある。太祖ヌルハチの頃から(?)、明らかな意図を持って築かれたものであるようだ。つまり、国都の安堵を図る目的で四塔が置かれたに違いない。さらに、西北西の方角に西塔の倍ぐらいの距離のところに仏舎利塔がある。また故宮から南南西の方角に、南塔の約3倍のところに白塔がある。後の二つは明らかに仏舎利塔である。
 ただ、不思議なのは、宗教的には仏教(チベット仏教)であるところである。魏晋南北朝以来長く不振であった仏教が清朝になって一時の隆盛を見るのは意外でもある。詳しく調べたことがないのだが、清朝の皇帝はまず満州族蒙古族の汗(ハン)であったという。蒙古族の宗教は長くチベット仏教であった。チベットの僧侶よりもモンゴルの僧侶の方がまじめに仏教の研究を積み、自らもチベットの破戒僧とは違うのだという自負を持っていたと、河口慧海の「チベット旅行記」に記されていた。
 ま、ともあれ、儒教ではなくて仏教なのだ。
 そのうちの、東塔に行ってみた。]



 地図で確かめると、地下鉄1号線の東の終点駅、黎明広場駅から237番に乗り換えればすぐだと思って、土曜日の2時過ぎに宿舎を出た。


近くの白塔河が完全に凍結していた。瀋陽は急速に冬の装いに変わっている。


 黎明広場について、左側に行けばバス停があるだろうと思っていったところ、確かにバス停はあったのだが、私の想定とは全く逆の方向に向いていた。折良く、バスが来たので乗ったところ、今来た駅前を通過して三家里という次のバス停に向かった。本来私が目指していたのはそのバス停であったから、全く逆方向に行っていたわけである。しかし、結果的には237番に乗れたのだから、運が良かった。バスで、5つめの駅が東塔だった。
 西塔と同じような作りの塔であった。恐らく、東西南北の四塔は同じような作りなのだろうとこの時気付いた。
 1人の婦人が、何事か願掛けなのだろう、礼拝する石畳に跪いて祈っている。こんな姿を見ると、この国にも、宗教は息づいているのだと感じた。