北京2ー瀋陽日記

 さて、出発は1月元旦。朝の6時にはもう1人のイギリス人女性が瀋陽の空港から西安に向けて出発していた。6時前には起床して、朝ご飯を食べたが、前夜の飲み過ぎのせいかあまり食欲がない。無理に、パン2枚とサラダを詰め込んで出発の準備をした。7時前には学校の車が迎えに来てくれていた。いつもの運転手と大柄な体育の教師の二人連れ。凍結した道をかなり飛ばして、8時前には瀋陽北駅に着いていた。大男の体育の教師が一つの荷物を持ってくれるのだろうと期待したら、切符がないから中には入れない、荷物もここまでで、あとはよろしく。駅舎からかなり離れた道路に荷物を置いて、そさくさと引き揚げていった。覚悟はしていたが、やはりそう来たか。時間もあるし、じっくり荷物を駅構内の待合室まで持っていこうと決めた。いつも通り、切符の確認と荷物検査を終えて駅構内の待合所(全体が巨大ドームのようになっていて、東西が各路線ごとの改札口になっている)に入ってもまだがらんとしていて、列車の出発時間9:28分にはまだ1時間半も余裕がある。ひたすら体を休め、二人で四方山話をした。
 中でも、僕が文学好きだと気付いたドイツのおばさん(Kさん)は、ドイツ文学の中でだれが好きか、どんな人を知っているかと聞いてきた。トーマスマンぐらいしか、しかも翻訳でしか読んだことのない僕の無知を啓蒙するように、Kさんはマンの兄のハインドリッヒ・マンのことや、ノーベル賞作家ギュンター・グラスのこと、その代表作の「ブリキの太鼓」や「猫とネズミ」「タマネギ」の話などをしているのだが、僕はいい加減な合槌を打って聞くともなく聞いていた。その時から少し風邪気味だったのかもしれなかった。
 改札が始まると皆我がちにホームを走る。それは、座席ではなく荷物を載せる網棚のスペースを確保するためである。
 私も当然のように急いだ。乗車車両番号を読み間違えて、乗車直前に10両目から7両目までホームを走った。中は混んでいて人は進まない。暖房が入っている。背中にリュック、両手に荷物では、コートのファスナーを開くこともできない。汗だくになって、荷物を片付けて、座席に腰を下ろしたら、列車はもう出発していた。コートを脱いで、一休みのつもりがうたた寝してしまった。これが原因で今まで続く風邪を引き込んでしまったようだ。
(北京と題しながら、まだ瀋陽にいる。明日はきっと北京のココロだ。)