茅盾ー北京7−瀋陽日記

 2日の朝は早く起きたので、朝食前に少し近所を散歩した。実は、ガイドブックにあった「茅盾故居」が気になっていたのだ。朝が早いので聞く人もなく、菊児胡同の1本南の后園恩寺胡同をうろつくのだが、見当たらない。昨日、タクシーが迷い込んでいた通りである。分からないから、南鑼鼓巷に引き返して、もう一本南の筋を目指したがそこにもそれらしい建物は見えない。思い返して、前の筋をもう少し東にと50mほど行ったところに、「茅盾故居」はあった。空いていないかと思ったが、8時から開館で空いていた。名前を書いて四合院の中庭を少しうろついてすぐ引き返してきた。8時半の朝食に間に合うように。
 門をくぐったすぐ先に、訒頴超(周恩来夫人)の揮毫による「茅盾故居」の扁額が掲げられていた。説明も至って簡略であった。

【 茅盾故居
茅盾(ぼうじゅん)1974年から後の北京での住所。茅盾(1896〜1881)本名:沈(しん)徳鴻、字は雁冰(がんひょう)、浙江省桐郷の人、現代文化を進歩させた先駆者の一人、現代作家。相次いで『子夜』『蝕』『虹』『春蚕』『林商店』などの文学巨編を創作し、併せて大量の文芸論著を書いたり編集し、外国文学作品の翻訳なども行った。国内外にも著名で高く評価されている。1984年公布して北京市市級文物保護単位とする。       】

 昔、河出書房の世界文学全集の「中国」の集に魯迅とともに入れられていたのが茅盾だった。その代表作として「紅葉は赤い」(『霜葉紅于二月花』)が翻訳されていたのだが、この案内には書かれていなかった。この小説の題名は晩唐の詩人杜牧の有名な詩『山行』の結句「霜葉は二月の花よりも紅なり」から来ていたはずだ。
 昔取った杵柄で、ちょっとよそ道にそれてしまったが、少しは教養のあるところを見せておこう。