天壇3ー北京ー瀋陽日記

 中国のどこの公園に入っても、老人達のグループがここかしこで、ダンスをしたり、太極拳を練習したり、トランプや将棋や麻雀に興じたりしている姿を目にする。天壇には麻雀のグループはなかったが、ほかは大抵あった。瀋陽に比べて温かいとは言え、外は零下2,3度の世界だか、彼らはお構いなしに早朝からこの地に集まっている。早朝からは無料なのか、あるいは、IDカードを見せて老人であることを申告するのか、ともあれ、たくさんの老人が、天壇公園の中にいた。多くのグループがトランプで勝負をしている。
 東門から入ったので、当面目指すのは祈年殿である。1420年(明の永楽18年)に創建されたと記してある。南から圜丘、皇穹宇、祈年殿と一直線に並んでいる。祈年殿は天を象徴する半円形の壁で囲まれている。しかも、天壇公園の中ではこの祈年殿がひときわ高く聳えている。つまり、天に跪拝する祈年殿こそが、天の子たる天子の居場所だと宣言しているようだ。中を覗くと、直径1メートル以上はあろうと思われる太い柱が林立していて、上部は窺い知れない。元旦などの冬場に祭祀を行ったのであれば、溜まらなく寒かっただろうなと往事の皇帝に同情してみたりした。

 天を祭る祈年殿が北端にあって、はるか南の大地を象徴する圜丘を見下ろしているのだが、1つの疑問にぶち当たった。どうして、天を祭る「天壇」が故宮の南側にあって、地を祭る「地壇」が故宮の北側にあるのだろうか。北から南を見下ろすのが天地の順序ではなかったかという疑問である。
 誰か教えてほしいのだが、一つの仮説を考えている。
 故宮を中心にした方位という考え方ならば、南は陽であり天を指し、北は陰であり地を指す。という考えから来たのではないかと推測する。果たして正しいのか否か。