同学-瀋陽日記

 大学時代の友人と44年ぶりに会った。S君としておくが、岡山大学を定年退職して、今は岡山大学客員教授兼北京事務所長をして、日中間の学術交流に奔走している。事務所は長春にも拠点を持っていて、そこから瀋陽に出張に来た。瀋陽東北大学との交流のために日本語科の教授達と打ち合わせに来たとの理由だった。東北大学の近くの瀋陽金科大厦ホテルに宿泊するというので、そこまで会いに行った。
 ホテルのロビーで待ち合わせたのだが、お互いにすぐに見分けられた。さすがに双方とも老いは避けがたいものの青年時代の面影を残していたからである。彼と向かい合うのは青年時代のあの大学紛争の時期、3月の初旬頃だっただろうか、大学構内ですれ違ったとき声を掛け合って以来だった。文学部の同じ教室で、しかも数少ない中国文学の専攻者であったから、政治的党派は違っていたが、彼とはそれを超えて友達づきあいをしていたのだ。しかし、大学のバリケード封鎖などの動きの中でその付き合いも間遠になっていた。私が眼球破裂で入院し退院したばかりであったが、彼もまた顔面に傷を負っていた。
 話しは勢い学生時代の恩師や同学の消息、中国語教室での忘れられない想い出などになった。さすが、50年近く一貫して中国文学の世界で生きてきた彼は、美事な中国語を話していて、60才を過ぎて中国語を再開した僕は恥じ入るばかりだった。
 彼の近作の著書『陶淵明と白楽天ー生きる喜びをうたい続けた詩人』(角川選書)を贈呈された。彼が話す、学問の世界の話しは今の僕には縁遠い世界なのだが、聞いていてとても耳に心地よかった。彼が好む白酒のまろやかな味に酔い、ともに語りあう懐旧の情に酔って、気が付くと3時間ほどが過ぎて、店から閉店と告げられてやっと腰を上げる始末だった。
 別れ際に彼から「俺たちのあの闘いや苦しみ、夢、挫折、恋、党派を超えて共有したものを、誰も書き残していない。お前が書くべきだ。」と発破をかけられた。確かに、僕の宿題の一つなのだが、何時になったら、その宿題を終えることができることやら。