弁論2ー瀋陽日記

 今日、うちの学校で東北3省の高校生日本語弁論大会が開かれた。東北地区から5名の全国大会出場者を決める大会なのだが、文字通り、黒竜江省吉林省遼寧省の3省の代表者が集まった。黒竜江省からは哈爾浜市朝鮮族第一中学や尚志市朝鮮族中学が代表として参加している。この尚志市という名前は今日初めて知った。牡丹江市と哈爾浜市の間、やや哈爾浜寄りのところに尚志市はある。哈爾浜から高速バスで4時間ほどかかると言っていたから、瀋陽に来るのも1日仕事のはずだ。JICAから派遣されたOさんという若い女の先生の引率で男女2名が参加したのだが、女子が5名の地区代表の中に入った。JICAの通例の如く彼女の中国での給与は驚くほど少ない。中国元だけでは生活にぎりぎりだとのこと。幸い彼女の旅費は学校から支給されたのだが、生徒2名は自費で参加したとのことである。男の子の方も入賞ラインぎりぎりで入賞を逃したものであった。彼女の指導の成果が現れたものと感心した。ここにも、地の塩のように、地道に日本語教育を通じて日中友好のために働いている若い女性がいるのだと、感心すること頻りであった。
 また、吉林省の代表では長春日章学園高中の生徒が入賞したのだが、私はもう一つの吉林省代表の学校にビックリした。吉林省鎮赉県第三中学の参加者だ。鎮赉県は吉林省内蒙古の省境に近い町で、白城市の近く東北東にある町だが、この町も今日初めて耳にした。2名の中国人の日本語教師に引率されてきていたが、発表者は大きな大会に出るのが初めてなのか、演壇に立った途端、頭の中が真っ白になってしまったようで、初めのスピーチもあとのインタビューも全くしどろもどろになってしまった。それでも最後まで頑張ってスピーチしていたので、終わった途端、多くが本校の生徒である観客から励ましの大きな拍手を送られていた。この師弟もきっと長時間の列車の旅で瀋陽に着いたのだろうということが後で実感された。昼食会の席で話しかけると、緊張してしまってという言葉が返ってきた。多くの優秀な日本語話者に囲まれて毎日を送っている僕にとっては却って新鮮な感動のようなものを感じ取った。
 本校の成績は一位と、二位と同点の三位であった。何とか面目が施せた。審査員席に座って、次の北京大会に向けて、日本語教育の裾野の深みと代表の意味が実感された1日であった。こうした生徒達の複雑な思いを代表して北京に行くのだということを、これからは実感を持って生徒達に言えると思うのだ。