追悼文集ー瀋陽日記

昨日、家から送られてきた亡友の遺稿・追悼文集を読み終わった。その中の亡友の奥さんの文章が心に残った。 「・・・当時学生運動は盛んで、安保闘争(60年安保)へと進んでいきました。Yは二年・三年の時に学生自治会の委員長をしていました。運動は結構激しく、彼は定期的なアルバイト(家庭教師)が困難になり(私が代理で何度か行きました)、収入は奨学金だけ(当時月三千円だったと思います)。授業料はおろか食を保証する寮費さえ払えなくなりました。・・・・ 
 空腹の毎日だった彼に、私は「私のお弁当、半分食べる?」と差し出しました。私のお弁当を半分食べる日が数日続いた後、お弁当を二つ持っていきました。・・・私がぎゅうぎゅうに詰めるお弁当を見て、私の母が「若い娘がどうして?」と思い、「そんなことなら二つ持って行き」と言ったとのこと。・・・・」
 時代の空気がこの文章には感じられる。若かった二人の「心遣い」の有り様が感じ取られて、思わず、鼻頭のあたりがつんとしてくる。その頃の日本はまだ、とても貧しかった。