村上新作ー瀋陽日記

 日本から村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という長い題名の新作が届いた。初版は4月15日に発売されたのだが、私の手元にあるのは、4月30日発行の第7刷だ。2日に1刷のペースだから、今や20刷を越えているのではないかと勝手に推測している。発売日まで装幀も内容も極秘で進められたので、期待感から爆発的に売れるのかと思っていたら、売れるには売れているが、前作『1Q84』のような社会的なニュースになるほどの騒ぎにはならなかったようだ。
 それは前作が「カルト集団」、中でも「オーム真理教」が提起した問題に答えようとした力作であり、上下二巻にわたる大作であったことにもよる。今回の新作はその意味では(村上には珍しい)中篇と呼ばれるようなもので、しかも、人物描写が(これも村上には珍しく)かなり具体性を帯びているからかも知れない。
 冒頭の「大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた。」といういくらか自己矛盾を抱えた書き出しは、作品の主題音を提示して、いきなり「村上ワールド」へ読者を引き込んでくれる。すなわち「死」へと誘われ続けた「虚無に親しかった彼」とそこから回帰し「社会的存在としての彼」に復活していく過程が、具体的に丁寧に書き込まれていく。
 名古屋市内の公立高校の同級生五人の幸福な、しかし緊張感に溢れた「五角関係」の輪から、多崎つくるは突然弾き出される。
理由を問うこともできなかった彼の内心には、それは「アカ・アオ・シロ・クロ」の色彩語を姓に持つ4人によって、唯一色彩を持たない多崎が排撃されたように写る。そこから、ひたすら自己無化の16年が続く。16年を経て、「その理由を問う旅」(=復活もしくは巡礼の旅)に出る。
 トヨタのディラーをしているアオに問う。「それから16年が経った。しかしそのときの傷はまだ僕の心に残っているみたいだ。そして、どうやらまだ血を流し続けているらしい。・・・」
 こうして、4人を歴訪する旅が続く、最後に訪ねたフィンランドの描写は良質の室内楽を聞くように美しい。風景の点描や人物の描き方が、彼の初期作品「ノルウェイの森」の描写と似ているように感じる。ひょっとしたら、彼はこのフィンランドの風景を描くためにこの作品に取りかかったのではないかと思わせられた。