帰国-瀋陽日記

 この季節は、学校年度の変わり目ということもあって、何人かの日本語教師が日本に戻ることになる。今年も、親しくしてきた3人の教師が帰国することになったのだが、その中の一人の話が同世代の男性である僕には、耳に痛かった。
 彼女は、中国での日本語教育の実績が長い「日中技能者交流センター」という団体の派遣で遼寧省の大学に昨年9月に赴任してきた。
 この団体は日本の小中高校の退職者が多く、一時僕も応募して登録までいっていたのだが、こちらの学校の要請を受けて、登録を辞退してこの学校に赴任したいきさつもある。彼女は高校の教師だったと聞いているが、赴任は家族、主として夫の反対を説得してきたものだったという。
当時の「反日的」空気を懸念してだったが、他の理由もあった。
 1年経過しようというこの5月頃に、来年度の契約を更新して、「さあやろう。」と意気込んでいたときに、夫から「帰ってきて欲しい」という訴えがあった。毎日の生活で食事、洗濯、家周りの世話など、日常の家事に手一杯になって鬱状態になったというのだ。医師も娘も彼女の帰国を望んでいるという状態であった。彼女としては苦渋の選択を迫られたわけである。
 一生「恨んでいると言い続けてやろうか」と憤懣やるかたない彼女に、かける言葉を失っていると、一人が「それだけ頼りにされて、アイされていると言うことでしょう。」と問いかけた。
「まあ、そういえばそうだけど」と彼女の表情が少しだけ緩んだ。
 同世代の男として、ふがいないとは思いながらも、身に覚えがないこともない。つまりは、どちらにも同情するという次第だ。
 後日、妻にこの顛末を話すと、「まあ、女は一人残されても生きられるけど、男は一人になるとだめみたいね。」とあっさりと言った。残念だが、肯定せざるを得ない。