帰国2ー瀋陽日記

 もう一つ帰国の話しは同じ学校の同僚のことだ。
 留学生試験の文系選択者には「総合科目」という社会の試験が課されている。地理・歴史(世界史・日本史の主に近現代史)・政治・経済・現代社会といった社会科の科目のほとんどすべてを網羅した、まさに「総合的」な科目である。
 彼は昨年、この科目を担当して、4月から8月半ばまで教えて、帰国した。帰国するに当たって、主として食べ物(中でも、香辛料)が全く合わないので、来年は来ないと言っていただそうだ。
 今年に入って、学校側も代わりの教師を探していたのだが、彼と同じレベルの教師歴と見識を持つ人を探し出せず、4月から5月下旬まで社会科の日本人教師不在が続いた。生徒から、いつになったら先生が来てくれるのでしょうかと日本語教師の僕にも泣きついてきた。このまま8月まで行ってしまうのは、余りにも生徒にとってはかわいそうな事態なので、どうしても誰も来ないとなったら、手伝える範囲で手伝おうと生徒やハクさんに言っていた。
 ところが、5月の中旬になって昨年の総合科目担当の彼が来てくれることになった。彼は、昨年同僚だった数学の教師とメーデーでであって、「総合科目の教師が見つからなくて、生徒はずっと自習をしている」と聞いた。その場は、「そうなのか」で終わったのだが、その晩から、ひっそりと自習している生徒の姿が目にちらついて離れない。自分のせいではないのに自分の責任のように感じてしまう。悩みに悩んだ末に、「行ってやろう」ということになった。
 こうして5月中下旬から総合科目の授業が始まった。生徒は、嬉しくて生き生きしていた。彼もまた、昨年と同じように、生徒に請われるままに、休みごとに外出して生徒に付き合っていた。また、彼はプロはだしの写真家でその取材の外出もあっただろう。
 今年の端午節は6月10日から12日の3連休だったが、10日、11日と二日連続で外出した。11日は前日と打って変わって、肌寒い日だった。その日から発熱し、翌日収まったものの、微熱が続いて、13日には階段の上り下りも辛い状態が続いた。何とか授業を終えたが、部屋に戻って横になっても安眠できない。同じ幻覚がくり返しおそってくる。体力を保たなければと思って冷蔵庫を開けるのだが、中の匂いだけで、「うんざりして、食べる気力が萎えてしまう」。
 僕が聞いたのは、翌日の朝だった。体力の回復が先決と考えて、医者に行くことを勧めたが、ハクさんと相談のうえ、急遽帰国することになった。
 帰国した翌日、京都の提携校から、「肺炎で入院した」という報告を受けた。危うく命に関わるところだった。もうそろそろ回復している頃だと思うが、無事を祈っている。