絵心ー瀋陽日記

 僕には絵心がない。歌なら少し、人前で歌ったりしても恥ずかしくない程度に好きだ。絵心がないのは、服装のセンスなどにもよく出ていて、妻からよく、取り合わせが悪い、着こなしができていないなどと小言を頂戴する。だから、絵を描ける人や絵手紙などをすらすらと描く人を見ると思わず尊敬のまなざしになってしまう。
 こういう書き出しだと、ほぼ今日のネタは想像が付かれるのではないかと思う。同僚の一人がまさにその人なのである。
 彼は数学の教師で、これまで描いたことがなかったのだが、娘が、小さいスケッチブックと色鉛筆を持たせてくれたので、といって葉書大の用紙にスケッチを書きため始めた。溜まってくると、色鉛筆で
色づけして、日本から持ってきた葉書に印刷して知人に送り始めた。
 初めて見せて貰ったとき、僕は思わずうなった。これが退職後に描き始めた人のデッサンだろうか。美事だな。それも、瀋陽には数少ない緑蔭の道を中空から撮った写真のような絵を見せられた。こういい感覚は、やはり天性のものなのだろうか。
 その彼は、料理も手際がいい。もう一人の同僚に言わせると、僕は「料理しているぞというオーラを発散させているが、Sさんは雑談しながら、いつの間にか料理ができている」と評していた。夫婦共稼ぎで、早く帰った方が料理をすることになっていたから、まあ経験かなというのだが、やっぱりセンスの違いがあるような気がする。つまり、盛りつけだとか材料の切り方だとかそんなところに、違いが出てくる。見習いたいけど、まねができないな。