慰安婦ー瀋陽日記

 従軍慰安婦の問題についての連載を続けようと思うのだが、関連する日本のサイトを調べていて、この問題に関する様様な資料や個人ページの書き込みなどを目にした。この特集についていずれ触れることになる中国人従軍慰安婦万愛花についても、まじめな頁とともに、些細な事実の食い違いを取り上げて、証言そのものの信頼性を疑わせようと意図した書き込みや、ブログも目にした。「毛を吹いて疵を求む」類いの文章なのだが、こういう人には、どれだけ事実を積み重ねても無駄だろうなと言う気がした。元都知事の爺さんもまた同様に、相変わらず「シナ」(『文藝春秋』の記事の中の表現)と言ってはばからないのだから。橋本との二人三脚を当分続けるようだ。

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  熊維元が発見したこのネガフィルムは、しかし、普通のネガフィルムではなかった。1950年代の中国のみならず現在の中国においても、そのネガフィルムの内容のレベルはとても重大な物であった。

*全裸の妊婦の写真
⑨ この全裸の女性の白黒写真は、今しがたのネガフィルムから再印刷された物の一枚である。
  写真の中のこの女性は、髪を耳で切りそろえた短髪で、気ままに床に立っている。彼女のかすかに膨らんだ腹部が彼女が妊娠していて三か月ぐらいの身重であることを示している。
   この写真は妊婦が記念の意味で撮った一セットだろうか。この問題に答えるためには、他の焼き直しをした数枚の写真も見てみなければならない。

*日本軍に強制された「慰安婦」の写真―1950年雲南省騰冲で発見された―
⑩ 写真の女性はいろいろなポーズを取っている。あるものは窓の前に座り、あるものはベッドの上に横たわっている。鏡に映った彼女の表情には、一人の女性がこれから母親になろうとする慶びが全く見られない。
*日本軍に強制された「慰安婦」の写真―1950年雲南省騰冲で発見された―
*日本軍に強制された「慰安婦」の写真―立っている像を右側から―
⑪ 63年前にあって、中国のみならず全世界でも妊婦の写真を撮ることは好まれず、更に全裸の妊婦の写真などは常軌を逸し道義に背く、大胆至極な物であった。妊婦の写真であるだけでなく、写真の中の女性はどうして全裸で写真を撮る必要があったのか。
   彼女は誰なのか。数枚の写真だけを手がかりにこの女性を捜し当てようとするのは、まるで大海に落ちた針をさらうようなものである。しかし、この女性がまさに妊娠中であることが却って一つの重要な糸口になった。



*《妊娠した慰安婦》1944年9月3日、―米国記者ウォルター・ウーレイ、雲南省騰冲にて撮影―
⑫ この写真はアメリカの記者ウォルター・ウーレイが、1944年9月3日、雲南省松山で撮影したものである。ウーレイはこの写真に《妊娠した慰安婦》と名付けた。写真の右側に一人の蓬髪で垢まみれの顔の身重の「慰安婦」がいて、その名は朴永心、朝鮮人とされていた。
*中国遠征軍によって救出される「慰安婦」の写真―1944年に撮影―
   1944年《妊娠した慰安婦》を撮影された時、彼女は中国遠征軍によって慰安所から救出されたばかりで、年齢は僅か23才であった。